10月22日に木屋町三条に時代祭を見に行きました。
楠公上洛列の次は、中世婦人列がやって来ます。
大原女と桂女
行列の先頭は、白色の文字で中世婦人列と記された濃い紫色の旗が進みます。

中世婦人列
先ほどの楠公上洛列とは打って変わって、静かな足取りでやって来ました。
最初に登場するのは、大原観光保勝会が奉仕する大原女(おはらめ)の列です。

大原女
小原女は、洛北大原から京の街に薪や炭を売りに出た女性たち。
時代祭に登場するのは、室町時代末期の姿をした大原女です。
衣装は、白色、水色、緑色、キツネ色など多彩。
当時は、それぞれが違った服を着て街に売りに出ていたでしょうから、その辺も時代祭では再現しているのかもしれませんね。
頭には薪を乗せており、このような格好で売り歩いていたのを視覚的に演出しています。
腕を上げたままだと、筋肉がこわばってきそうですが、涼しい顔で目の前を通過していきました。
大原女の後からは、桂女性会と桂東女性会が交互に奉仕する桂女(かつらめ)の列が登場。

桂女
桂女は、洛西の桂から、鮎や飴を売りに出ていた女性です。
婚礼や出産のときに祝詞(のりと)をとなえる巫女などを業とした女性もいたそうです。
時代祭に登場する桂女は、室町頃の小袖を着用し、頭は白い布で覆った桂包という姿。
先ほどの大原女より軽装で、素足にわらじを履き、両腕には、ざるや桶のようなものを持っています。
淀君、藤原為家の室、静御前
ここからは、京都花街組合連合会の奉仕となります。
芸妓さんが登場することから人気ですね。
赤色の傘の下を優雅に歩いてくるのは淀君。

淀君
言わずと知れた豊臣秀吉の側室です。
いかにもお姫さまといった衣装は、唐織、刺繍、染め、絞りなどの最高の技術を生かした桃山時代を代表する豪華なものとのこと。
全体的に柿色で、花や松の葉のような様々な模様が散りばめられています。
表面には艶があり、見るからに高級そう。
これは外出姿だそうです。
後続の侍女たちの衣装と比較すると、淀君のものは、さすがに格が違うなとわかりますね。
淀君の後ろは、結構な間隔がとられていました。
これくらい前後が開いていると写真撮影しやすいですね。

中世婦人列の後方
続いて、十六夜日記の作者の藤原為家の室がやって来ました。

藤原為家の室
薄い白色の布を垂らした笠を被っているため、顔が見えづらくなっています。
この衣装は、中世婦人の旅姿だそうですが、手には杖を持っているものの、あまり動きやすそうに見えないですね。
藤原為家の室は、子息為助(ためすけ)の所領訴訟のため鎌倉に下向していますが、その時は出家していたと考えられます。
出家後、阿仏尼となった彼女は、源実朝の御台所・坊門信子が尼となった後に過ごした大通寺に入寺しています。
最後方からやって来たのは静御前。

静御前
源義経の愛妾ですね。
彼女は、平安時代の歌舞を演ずる白拍子です。
男性が着る水干(すいかん)を着用して踊ったのが、当時は斬新でした。
平安時代の女性の衣装は、静御前の後ろを歩く童女が着ているものが主流だったのでしょうね。
静御前は、終始落ち着いた様子で三条通を東に去って行きました。
なお、楠公上洛列と中世婦人列は動画にも収めているのでご覧になってください。
中世婦人列が通過した時点で、時刻は午後2時25分となり、観覧から約1時間が過ぎました。
時代祭の列も、半分くらいが過ぎ、これから後半に入ります。
次は、城南流鏑馬列の登場です。