10月22日に行われた時代祭を神宮道で観覧しました。
維新勤王隊列が通過した後に維新志士列が登場しました。
有名人からよく知らない人まで登場
維新志士列は、昭和41年(1966年)に祭神の孝明天皇100年祭を記念して、明治維新に活躍した志士たちを顕彰する列として加わりました。
維新志士列の最初に登場するのは、維新の三傑の一人である長州藩士の桂小五郎です。
薩長同盟締結の際、長州藩側の代表者として京都に忍んでやって来ています。
明治新政府でも重要な役割を果たしていますね。
次に登場するのは、西郷吉之助です。
西郷吉之助は、西郷隆盛のことで、こちらも維新の三傑の一人です。
幕府と朝廷とが手を取って難局を乗り切ろうとする公武合体のため奔走しますが、やがて、薩摩藩を倒幕へと向かわせ明治維新に貢献しています。
ちなみに維新の三傑には大久保利通もいますが、時代祭には登場しません。
坂本竜馬と中岡慎太郎が通過した後にやってきたのは長州藩士の高杉晋作です。
吉田松陰門下で、奇兵隊を設立し幕府の長州征伐に立ち向かったことで知られています。
しかし、明治維新の間近に病死しています。
孝明天皇の賀茂行幸の際、沿道から徳川家茂に「いよ、征夷大将軍」と声をかけた逸話が有名。
高杉晋作の後に続くのは、七卿落ちの列です。
文久3年(1863年)の八月十八日の政変で失脚した公卿7人が、久留米の神官真木和泉(まきいずみ)と長州藩士久坂玄瑞(くさかげんずい)と共に京都から長州に下りました。
七卿は、三條實美(さんじょうさねとみ)、三條西季知(さんじょうにしすえとも)、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)、壬生基修(みぶもとおさ)、四條隆謌(しじょうたかうた)、錦小路頼徳(にしきのこうじよりのり)、澤宣嘉(さわのぶよし)です。
三條實美は、明治新政府で太政大臣を務めているので有名ですが、その他は知る人が少ないですね。
七卿落ちの後、吉村寅太郎が過ぎ、その後ろを頼三樹三郎(らいみきさぶろう)が進みます。
将軍継嗣問題で、朝廷に働きかけたことから、井伊直弼の安政の大獄で捕縛された後、斬首となっています。
頼三樹三郎に続いて、梅田雲浜(うめだうんぴん)の登場です。
安政の大獄の犠牲者第1号として知られています。
梅田雲浜の後は、橋本左内、吉田松陰と過ぎていき、近衛忠煕(このえただひろ)がやって来ました。
薩摩藩とのつながりが深く、島津家の篤姫を徳川家定に嫁がせることに貢献しています。
しかし、後に安政の大獄で失脚しています。
姉小路公知(あねがこうじきんとも)が通り過ぎ、三條實萬(さんじょうさねつむ)がやって来ました。
今天神と称されるほど頭が良かった公卿で、七卿落ちで登場した三條實美のお父さんです。
続いて中山忠能(なかやまただやす)の登場です。
明治天皇のおじいさんで、倒幕に貢献しています。
子の中山忠光は、天誅組の変を起こし、後に暗殺されています。
この後、平野国臣(ひらのくにおみ)が通過し、維新志士列は終了しました。
次は、徳川城使上洛列がやって来ます。