1月中旬に京都市左京区の大蓮寺にソシンロウバイを見に行った後、東に約5分歩き、妙伝寺に参拝しました。
妙伝寺は、東山二条の交差点に広い敷地を持った日蓮宗のお寺です。
この辺りでは、よく目立つお寺ですが、参拝していく人は少なめですね。
冬の静かな境内
妙伝寺には、地下鉄の東山駅から東大路通を北に約5分歩くと到着します。
妙伝寺の山門の前にやって来ました。
上の写真には写っていませんが、山門の前には、「日蓮上人御分骨之道場」と刻まれた背の高い石柱が立っています。
また、その石柱の近くには、幕末の七卿落ちで長州に落ちた四条隆謌(しじょうたかうた)の墓所であることを示す石碑もあります。
山門をくぐって境内に入ります。
真ん中に軽トラックが停まっているだけで、人の気配がしません。
境内の中央に堂々と立つ本堂。
まずは、本堂にお参りをしましょう。
妙伝寺は、日蓮宗本山身延12世の日意上人が、関西の信者が山梨の身延山まで参詣するのは不便だと思い、文明9年(1477年)に日蓮聖人の骨舎利を勧請(かんじょう)して一条尻切屋町に創建したのが始まりです。
本堂の扁額には、「関西身延」と書かれていますよ。
天文法華の乱(1536年)で焼失した後、西洞院綾小路に再興しましたが、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の命により寺町二条に移転しています。
現在の東山二条に移ってきたのは、江戸時代の宝永の大火(1708年)の後のことです。
本堂の北側に建っているのは、日蓮聖人の舎利を納めたお堂です。
扁額には、「高祖舎利」と書かれています。
本堂と日蓮聖人の舎利を納めたお堂の間にある鐘楼。
中には、大きな梵鐘が吊るされています。
本堂の正面にある石碑は、片岡碑です。
当寺は、片岡仁左衛門の墓所であり、上の石碑は片岡仁左衛門を記念して建立されたものです。
本堂の南側には、塔頭(たっちゅう)が並んでおり、それらの奥に墓地があります。
妙伝寺の総受付。
本堂の近くも総受付の近くも人がおらず静かです。
雨庭
本堂にお参りを済ませたので、妙伝寺から出ることに。
境内の北西角には、日蓮聖人の像が立ち、その前に雨庭(あめにわ)が設けられています。
近くの京都市建設局みどり政策推進室の説明書によると、雨庭は、雨水を下水道に直接放流することなく、一時的に貯留し、ゆっくりと地中に浸透させる構造を持った植栽空間とのこと。
雨水流出抑制効果に加え、修景・緑化、水質浄化、ヒートアイランド現象の緩和などの効果が期待されているそうです。
京都では、この機能を取り入れた美しい庭園が、寺社などで古くから造られてきており、そのような庭園文化を継承している京都の造園技術力をいかし、雨庭の整備を道路上などの公共用地で進めています。
雨庭は、雨水を地中に浸透させやすくするため、植栽の周辺に砂利などを敷き詰めた州浜を設けており、砂利などは、深いところで約50cmの厚みがあるそうです。
砂利の隙間には、雨水を一時的に貯留しておくことができるそうですよ。
京都らしい景観を保ちながら、雨庭のようなインフラを整備しているんですね。
この後は、平安神宮に参拝します。
なお、妙伝寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。