京都市東山区の粟田山に鎮座する粟田神社(あわたじんじゃ)では、毎年10月に粟田祭が催されます。
粟田祭は、1000年の歴史がある行事で、祇園祭が斎行できなかった時には、当社の祭りをもって代わりとしたといわれています。
粟田神社の境内には、宝物殿があり、その中に粟田祭で使用された品々が展示されています。
剣鉾や見送が見られる
粟田神社には、地下鉄の東山駅から東に約5分歩くと到着します。
緩やかな上り坂となっている参道を進み、境内に入ると、正面に宝物殿が建っています。
宝物殿には、誰でも無料で入ることができますが、いくらかは志納をしておきましょう。
粟田祭は、長保3年(1001年)旧暦9月9日の夜、神意が祇園社(現在の八坂神社)に現れて、神人に「今日より7日後に祇園社の東北の地に瑞祥が現れる。そこに神幸すべし」と告げられたことにより始まったとされます。
スポーツの日の前々日の出御祭(おいでまつり)、スポーツの日の前日の夜渡り神事、スポーツの日の神幸祭と還幸祭、10月15日の例大祭までの神事・行事を総称して粟田祭と呼ばれています。
粟田祭は、令和2年(2020年)3月31日に京都市文化財保護条例施行規則の規定により京都市登録無形民俗文化財に登録されています。
宝物殿に入ると、背の高い剣鉾が展示されています。
神幸祭では、剣鉾が鉾差しによって5基ほど差され、神輿が氏子町内を渡御します。
剣鉾の隣には、鯉の刺しゅうが見事な見送も展示されていますよ。
これは、第十五鉾の琴高鉾の見送です。
説明書によると、琴高鉾は、担いで巡行する山車ような荷鉾とされていたので、吹き散り(一條の布)ではなく、このような形式の見送となったとのこと。
琴高鉾は、鉾の名手で仙術を会得し鯉を巧みに乗りこなしたという中国の周代の琴高仙人の故事をモチーフにした鉾で、見送は、明治19年(1886年)作の日本刺繍だそうです。
琴高鉾見送の隣には、御神号掛軸があります。
そして、その下には、再現されたお供え物が置かれています。
粟田祭では、各鉾町にて御神号掛軸を中心として剣鉾と吹き散り等を飾り、お供え物をしますが、その中でも、紅白饅頭、栗、柿は、盛り高く積み上げて供えるそうです。
粟田神社の宝物殿の展示物は、どれも見事なものばかりですから、参拝した時には宝物殿の中にも入っておきたいですね。
粟田焼や刀剣も展示されていますよ。
なお、粟田神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。