京都市左京区の一乗寺に建つ金福寺(こんぷくじ)には、初夏になるとサツキがきれいに咲く枯山水庭園があります。
この時期は、京都に観光や旅行で訪れる方が少なく、金福寺の庭園ものんびりと鑑賞することができます。
白砂と新緑とサツキの赤い花
金福寺は、叡山電車の一乗寺駅から東に10分ほど歩くと到着します。
入り口は小さいですが、細い石段の前に金福寺と刻まれた石が置かれているので、見逃すことはないでしょう。
門をくぐり受付で拝観料400円を納めて、庭園へ向かいます。
庭園入り口の前の新緑と苔も美しいですね。
庭園を鑑賞する前にまずは、建物内に入って、本尊の観音様にお参り。
建物内には、他にも松尾芭蕉や与謝蕪村の像、井伊直弼の愛人で幕府の隠密であった村山たかゆかりの品々が展示されています。
15分の音声ガイドを聴きながら、それらの宝物を鑑賞した後は縁側へ。
参拝者がほとんどいなかったので、縁側に座りながら、のんびりと庭園を眺めることができました。
白砂が、カエデとサツキの緑色の葉を際立たせています。
サツキの花が少ないように感じますが、拝観案内の写真を見ると、どうやらこれぐらいのようですね。
それでもサツキの花は、前日の雨のおかげなのか、どれも活き活きと咲いています。
縁側でのんびりした後は、建物を出て庭園を散策。
サツキの刈込が斜面に沿うようにいくつもあり、その向こうに茅葺屋根の庵が建っています。
斜面のサツキを眺めながら、緩やかな坂道を登って、その庵へと向かいます。
そして、先ほど庭園の下から見た茅葺屋根の庵の前に到着。
この庵は、芭蕉庵と呼ばれています。
芭蕉庵は、江戸時代の元禄年間(1688-1704年)に金福寺を再興した鉄舟が建てた草庵で、当初は名がありませんでしたが、鉄舟が松尾芭蕉と親交を深めていったことから、芭蕉庵と名付けられたそうです。
その後、芭蕉庵は荒廃しますが、松尾芭蕉を私淑していた与謝蕪村が当寺に訪れた時、荒れてしまった芭蕉庵を惜しんで、安永5年(1776年)に再興します。
以下の句は、蕪村が芭蕉庵の落成時に詠んだものです。
耳目肺腸(じもくはいちょう) ここに玉巻く 芭蕉庵
芭蕉庵が建っている辺りから見下ろす景色は見事です。
蕪村が生きていた時代も、このような景色だったのでしょうか。
一乗寺には、他にも詩仙堂というサツキが有名なお寺があります。
詩仙堂は、金福寺から北に10分ほど歩いた辺りに建っていますので、金福寺の拝観後に訪れてみてはいかがでしょうか。
なお、金福寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。