平安時代に丹波康頼(912-995年)という人がいました。
丹波康頼は、医博士、針博士で、日本最古の医学書である「医心方」を著しました。
その医心方の記念碑が、京都市東山区の今熊野観音寺の境内にあります。
医聖堂の前に置かれた記念碑
JRまたは京阪電車の東福寺駅を出て、東に10分ほど歩き南に曲がって緩やかな坂道を3分ほど歩くと、泉山(せんざん)の入り口に到着します。
入り口の門をくぐり、さらに南に歩き、途中で東に曲がると朱色の鳥居橋が現れるので、それを渡ります。
すると鳥居橋の奥に今熊野観音寺があります。
石段を上った正面に本堂があり、その背後の山に朱色の医聖堂が建っています。
一見すると山には上がれないように思えますが、医聖堂に続く細い道があるので、そこを通れば医聖堂の前にたどり着けます。
その医聖堂の前に「丹波康頼 医心方 一千年記念の碑」と刻まれた石碑が置かれています。
「医」という字は、何やら難しい字です。
石碑の近くには、「医心方 一千年の記念に」という説明が書かれた石もあります。
丹波康頼は、永観2年(984年)11月28日に朝廷に医心方30巻を献じました。
医心法は、わが国医学の源流を示す現存最古の医書であるとともに中国ですでに失われた多くの医書を含む東洋医学の貴重な文化遺産とのこと。
当時の医学の知識が網羅されていることから医書として貴重であることはもちろんのこと、医心方の典拠となる資料が失われていることから、医学史上の価値も非常に高いと評価されています。
今熊野観音寺の医聖堂は、平安様式の多宝塔で、 医と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれることを願って、当寺の住職によって建立されました。
このような願いがこもった医聖堂のそばに医心方1千年を記念して、昭和59年(1984年)10月10日に医心方一千年記念の碑が建てられ、丹波康頼の偉業がたたえられました。
建立したのは、医心方一千年記念会、日本医史学会、日本東洋医学会です。
今熊野観音寺に参拝しても、医聖堂まで登ってくる人は多くないので、ここに医心方一千年記念の碑が置かれていることを知っている人は少なそうです。
医聖堂の前から眺める景色も見事なので、今熊野観音寺に参拝した際は、ぜひ、医聖堂の近くまで行って、医心方一千年記念の碑もご覧になってください。
なお、今熊野観音寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。