伏見稲荷大社にある後醍醐天皇御製が刻まれた石碑

延元元年(1336年)10月に足利直義によって花山院に幽閉された後醍醐天皇

このまま囚われの身となっていては、足利尊氏に利用されるだけと考えた後醍醐天皇は花山院を脱出して吉野に向かうことにしました。

暗闇をむら雲が照らす

後醍醐天皇が、花山院を抜け出したのは12月の深夜でした。

吉野へ向かう道は真っ暗で、なかなか思うように進めません。

なんとか稲荷神社まで来ることができた後醍醐天皇は、神前で以下の歌を奉納し、稲荷大神に祈願しました。

ぬばたまの くらきやみ路に まよふなり われにかさなむ 三つのともし火

すると、山上より現れた赤いむら雲が、後醍醐天皇の行く手を照らし出しました。

天皇は、それにより無事に大和の内山に到着できたと伝えられています。

伏見稲荷大社にある石碑

後醍醐天皇が、花山院を脱出した後に立ち寄った稲荷神社は、現在の伏見稲荷大社です。

本殿の裏の千本鳥居を進むと、奥社奉拝所に到着します。

その奥社奉拝所のおもかる石が置かれている近くに大きな石碑があります。

この石碑には、後醍醐天皇が花山院を脱出し、稲荷神社で詠んだ歌が刻まれています。

後醍醐天皇御製が刻まれた石碑

後醍醐天皇御製が刻まれた石碑

この石碑が建立されたのは、明治25年(1892年)12月で、寄進したのは、大阪南久宝寺町2丁目に住んでいた土井柾三氏です。

伏見稲荷大社に参拝する人の中には、おもかる石を持ち上げて願い事が叶うかどうかを占う人もおり、その前には列ができていることもあります。

そして、おもかる石を持ち上げた後は、さらに千本鳥居をくぐって、お山めぐりに向かいます。

お山めぐりは時間がかかるので、奥社奉拝所から本殿に引き返す人もいますね。

しかし、お山めぐりをする人もしない人も、ほとんどの参拝者が、ここに後醍醐天皇の御製が刻まれた石碑があることに気づきません。

場所が悪いこともありますが、石碑に気づいても素通りする人が多いですね。

戦前だと、後醍醐天皇や楠木正成は人気でしたが、今は知らない人の方が多いでしょう。

平成19年(2007年)7月に土井柾三氏の後裔の土井哲雄氏が、石碑の近くに碑文とその説明を記した板を奉納しています。

この説明書のおかげで、石碑に記されている歌とその由来が、誰にでもわかるようになりました。

もしも、この説明書が設置されていなければ、石碑に気づいた人でも、どんな意味がある石碑かわからないまま、伏見稲荷大社から帰るしかなかったでしょう。

京都には、たくさんの石碑がありますが、刻まれた文字が読めないものが多いですね。

これらの石碑にも、説明書が設置されると良いのですが。

なお、伏見稲荷大社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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