12月中旬に京都市中京区の本能寺に参拝しました。
本能寺は、寺町のアーケード街に建つ日蓮宗のお寺で、ショッピングのついでにお参りするのに便利な場所に建っています。
でも、本能寺に参拝するのは久しぶりです。
お寺の前を通ることはよくありますが、いつでもお参りできるという安心感のためか、意外と境内に入る機会が少な目なのです。
境内の風景
本能寺の最寄り駅は、地下鉄京都市役所前駅です。
駅を出て寺町通近くの階段を上がれば、すぐに本能寺の総門前に到着します。
左側の「大本山本能寺」と刻まれた石柱をじっくりと見てください。
何か変じゃないですか?
そう、「能」の字の右側が「ヒ」が縦に2つ並んでいるのではなく、「去」という字になっています。
本能寺は、建立されてから現在まで5回も火災に遭っています。
そのため、「ヒ」が続いている「能」という字を避けて、右側を「ヒ」が「去る」ようにという意味を込めて、石柱の文字としたそうです。
いわれには諸説あるそうですけどね。
パソコンで変換しても、この漢字は出てきません。
総門の近くではサザンカが赤色の花を咲かせていました。
サザンカの花を見ると冬の到来を感じますね。
総門をくぐります。
すると、参道の右側に背の高い大寶殿が現れます。
大寶殿内では、本能寺に伝わる寺宝の展示が行われていますよ。
でも、まだ一度も中に入ったことがありません。
参道の奥に建つ本堂。
中に入ってお参りをしましょう。
正面には、日蓮聖人の像が祀られています。
この像は、本能寺の変の以前からあるとか。
大寶殿の後ろでは、まだ紅葉が残っていました。
こちらは、本堂前のナンテン。
サザンカと同じようにナンテンの赤い実を見ていると冬だなと感じますね。
境内の史跡
本堂の後ろに行きましょう。
この辺りには、いくつか史跡があります。
下の写真に写っているのは織田信長の供養塔です。
本能寺の変が起こった後、三男の信孝が遺骸の収集にあたり、1ヶ月後に本能寺を信長の墓所に定めました。
本能寺のこの供養塔は、信孝が建立した信長のお墓で、石塔の下には信長が使用していた太刀が納められているそうです。
信長の供養塔の南には、浦上玉堂と浦上春琴の廟所もあります。
逆光だったので、屋根が白く写ってしまいました。
浦上玉堂は、延享2年(1745年)に現在の岡山県に生まれました。
説明書によると、仕事の傍ら、琴を弾き、詩を詠し、筆をとって墨書し、酒に酔い絵を描くという文人として自適の生活を送っていたとのこと。
春琴は、玉堂の長男です。
玉堂は、50歳の時、春琴と秋琴を連れて諸国放浪の旅に出、自由人として生きながら近代絵画の頂点を極めたそうです。
浦上玉堂の廟所の東には立派なオオイチョウが植えられています。
すでに葉を散らしています。
このオオイチョウは、蛤御門(はまぐりごもん)の変(1864年)の火災時に水を吹きだし火を消したと伝えられています。
織田信長の供養塔の北側にあるのは大住院日甫上人の顕彰碑です。
日甫上人は本能寺の塔頭(たっちゅう)の高俊院の第4世住職で、池ノ坊専光と並び称される江戸時代の華道の権威です。
幕府や大名の屋敷にふさわしい巨大な立花を創作し、天才的連形力を発揮したそうです。
華道をされている方なら、一度はお参りしておきたいですね。
冬の本能寺は、地元のお年寄りの方が立ち話をしていたり、学生さんが立ち寄ったりとのんびりとしていました。
この時期は京都観光に訪れる旅行者の方が少ないため、境内が静かでしたよ。
なお、本能寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。