貞治5年(南朝の正平21年/1366年)。
現在の京都市西京区の大原野に建つ勝持寺(しょうじじ)で盛大な花見が催されました。
この花見の主催者は佐々木道誉(ささきどうよ)。
佐々木道誉は婆娑羅大名と呼ばれていた人物で、やることなすことが常に派手でした。
婆娑羅(ばさら)とは、遠慮なく勝手にふるまう様のことで、後に傾奇者とも呼ばれるようになります。
当然、佐々木道誉が勝持寺で催した花見も婆娑羅大名らしく派手なものでした。
斯波高経の専横
佐々木道誉は、足利尊氏が室町幕府を開くのに尽力した大名です。
足利尊氏が亡くなった後も道誉は幕府の重鎮ではあったのですが、2代将軍の足利義詮(よしあきら)の時代になると政治体制が変わりつつあり、斯波高経が管領(かんれい)となり権力を持ち始めます。
この頃、足利義詮が病気がちだったこともあり、斯波高経が専横を振るい始め道誉は彼の下風に立つことになりました。
道誉はおもしろくありません。
どうにかして斯波高経に一泡吹かせてやろうと考えていた道誉。
ある時、彼の耳に斯波高経が将軍の御所で宴会を開くという情報が入ります。
そこで道誉は、この宴会で斯波高経に恥をかかせる方法を思いつきました。
勝持寺での花見
当初は、道誉も斯波高経主催の宴会に出席する素振りを見せていました。
ところが宴会の当日になって道誉は、大原野の勝持寺で斯波高経主催の宴会よりも派手な花見を開催したのです。
都中の芸能人たちは全て勝持寺の花見に参加。
太平記によると、それはそれは派手な花見だったそうです。
本堂ノ庭ニ十囲ノ花木四本アリ、此ノ下ニ一丈余リノ鍮石ノ花瓶ヲ鋳懸ケテ、一双ノ華ニ作リナシ、其ノ交ニ両囲ノ香炉ヲ両ノ机ニ並ベテ、一斤ノ名香ヲ一度ニ焚キ上ゲタレバ、香風四方ニ散ジテ、人皆浮香世界ノ中ニ在ルガ如シ
道誉は、勝持寺の背の高い桜の木の前に真鍮の花瓶を置き、その桜の木を立花に見たてます。
そして、用意した大きな香炉に一斤もある名香を一気に炊きあげました。
その見事な香りは風に乗って周囲に漂い、人々は香積如来(こうしゃくにょらい)の浄土にいるような錯覚を覚えたということです。
佐々木道誉の勝持寺での盛大な花見を知った斯波高経はどう思ったでしょうか。
幕府政治に強い発言権を持っていても、自分が開いた宴会に出席する人が少なかったのですから、きっと悔しがったことでしょう。
現在も勝持寺は桜の名所として知られています。
春になれば、境内に植えられた桜の木が一斉に花を咲かせ、一面が薄紅色の世界となります。
その桜満開の境内に名香の良いかおりが漂っていたのですから、花見に参加した人々は天国にいるような心地だったでしょうね。
なお、勝持寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。