京都市上京区の西陣に雨宝院(うほういん)というお寺があります。
堀川上立売を西に5分ほど歩いた場所に建っているのですが、それほど大きなお寺ではありません。
なので、観光客の方があまり足を運ばないように思ったのですが、境内には写真撮影についての注意事項が書かれた紙が貼られいることから、意外と人気のあるお寺のようです。
境内は狭くても観るものがいっぱいの雨宝院
雨宝院は、弘仁12年(821年)に嵯峨天皇の病気平癒を祈願して、空海が大聖歓喜天像を彫ったところ天皇の病が癒えたことから、時雨亭を賜り雨宝堂を建立したのが始まりとされています。
歓喜天像は、金運、水商売繁盛のご利益があると伝えられています。
雨宝院の境内には、時雨の松、歓喜桜、染殿井(そめどのい)といった興味深いものがあります。
時雨の松は、久爾宮朝彦親王(くにのみやともひこしんのう)がにわか雨をしのいだと伝えられている松です。
歓喜桜は、仁和寺に植えられている御室の桜と同じ種類の八重桜です。
染殿井は、染色に使うとよく染まることで有名です。水に含まれる鉄分が少ないことがその理由らしいです。また、染殿井は、夏の干ばつ時にも枯れることがないそうです。
時雨の松、歓喜桜、染殿井については、「京都を歩くアルバム」さんの以下の記事に写真が掲載されていますので、ご覧になってください。
なお、雨宝院の詳細については、以下のページを参考にしてみてください。
巨石だけが残る岩上神社
雨宝院を西の門から出ると正面に小さな神社が建っています。
この神社は、岩上神社というそうです。
神社といっても社殿らしいものは、全くありません。
上の写真に写っている建物の中には、大きな石が置かれているだけです。
この巨石は、岩上さんと呼ばれており、2メートルほどの大きさがあります。
もともとは二条城の南にあったそうです。
京都市の由緒書によると、岩上さんは、内裏の築山に動かそうとしたら吠えたとか、小僧に化けて神泉苑で怪をなしたこともあるとか。
岩上さんは、二条から中和門院の御所に移されたそうですが、そこでも怪異が起こったので、真言僧が当地に岩上寺の本尊として祀ったそうです。
しかし、岩上寺は、天明の大火(1788年)で類焼して一堂だけとなり、その後、明治時代に廃絶し、岩上さんだけが当地に残りました。
上の話だけを聞くと、岩上さんには、何か不思議な力がありそうですね。
無闇に触ったりすると罰が当たりそうです。