小倉あんは、日本人なら誰もが一度は口にしたことがある食べ物ではないでしょうか。
俗にアンコと呼ばれている小倉あん。
日本で誕生したというのは、なんとなくわかりますが、いつ頃、どこで作られたのかと尋ねられて、すぐに答えられる人は少ないでしょう。
実は、小倉あんの発祥の地は京都です。
それも観光地として賑わっている嵯峨野なのです。
落柿舎
渡月橋を北に歩き、新丸太町通を西に歩いて行くと落柿舎(らくししゃ)という建物が現れます。
落柿舎は、松尾芭蕉の高弟として知られる向井去来の閑居跡です。
ある日、去来は、40本の柿の木とその実を商人に売ることにしたのですが、一夜にして柿の実が全て落ちてしまいました。
この出来事が、落柿舎の名の由来です。
落柿舎が建っている辺りは、観光地にしては非常にのどかで、観光シーズン以外の時期に訪れるとほとんど人はいません。
小倉あん発祥地
さて、最初に小倉あん発祥の地は、嵯峨野だと書きました。
それなのになぜ落柿舎のことばかりを書くのかというと、実は、落柿舎の前に広がっているのどかな景色こそが、小倉あん発祥の地なのです。
小倉あん発祥の由来と書かれた立て看板の内容を要約すると以下のようになります。
日本で初めて小豆と砂糖を炊いて小倉あんを作ったのは820年頃。
亀の甲せんべいを作っている和三郎という人が、空海が唐から持ち帰った小豆を栽培して、それを砂糖と混ぜて煮詰めて作ったのが小倉あんです。
当初は、小倉あんは御所に献上されるだけでしたが、和三郎の努力のおかげで広く普及し、そして、江戸時代に入ると茶道の菓子に使われるようになりました。
現在、和菓子には必ずと言っていいほど小倉あんが使われていますね。
なお、毎年3月の第3日曜日には、近くの二尊院で、ぜんざいが無料で振る舞われます。
柿と小倉あん
ここからは余談です。
落柿舎の近くが小倉あん発祥の地ということから、何気に柿と小倉あんを使った食べ物があるのかを知りたくなりました。
そこで、さっそくグーグルで検索。
いやいや、結構ありますね。
平柿の中に、白あん、柚子あん、ずんだあんの3種類を入れて包み、小倉ようかんで仕上げた「相馬柿ッ娘」というものや小倉あんを干し柿で包んだ「御所柿」というものなど、いろいろあります。
私自身は、柿と小倉あんを使った食べ物を見たことがなかったので、意外な感じがします。
京都のお土産として有名な八つ橋。
その中にも小倉あんは入っています。
京都と小倉あんは、切っても切れない関係にあると言えますね。