京都市中京区にある京都市役所から西に5分ほど歩くと中学校があります。
この中学校は京都御池中学校で、その地には、日本最初の小学校である柳池校がありました。
また、この地は浄土真宗の開祖親鸞聖人が亡くなった後、聖人を偲んで門徒が建立した法泉寺があった場所でもあります。
柳池校の石碑
日本最初の小学校の柳池校があったことを示す石碑が、京都御池中学校の前にあります。
京都府が設置されたのは明治元年(1868年)のことで、翌年に上京33、下京32の65番組に分けて、番組ごとに小学校が設立されました。
上京27番組で最初に授業が行われたのは、明治2年でしたが、この時は仮校舎でした。
富小路御池角守山町に建てられた新校舎での授業は、翌年5月21日から始まります。
これが日本最初の小学校で、当時は上京第二十七番組小学校と称していました。
現在地に移転したのは明治6年のことで、この時に柳池小学校に改称しています。
見真大師遷化之旧跡
現在の京都御池中学校がある場所には、以前、法泉寺が建っていました。
冒頭でも述べたように法泉寺は、浄土真宗の開祖親鸞聖人が弘長2年(1262年)に90歳で入滅した後、門徒が聖人を偲んで建立したお寺です。
法泉寺が建つ前は、親鸞聖人が亡くなった善法院があり、この地は、いつしか親鸞ヶ原と呼ばれるようになっていました。
その後、法泉寺は、柳池小学校の拡張に伴い大正15年(1926年)に下総町に移転、昭和20年(1945年)に強制疎開で寺地を転々とした後、昭和23年に左京区下鴨松ノ木町に定まります。
現在、京都御池中学校の前には、「見真大師遷化之旧跡」と刻まれた石碑が立っています。
見真大師とは親鸞聖人のことで、この石碑は、柳池小学校拡張に伴い法泉寺が移転した後も、この地に残されました。
ちなみにこの辺りは、虎石町といいますが、その地名は、親鸞聖人が、伏せた虎のような姿をした庭石を虎石と呼び親しんでいたことが由来です。
親鸞聖人が亡くなるとき、この虎石は涙を流したと伝えられています。
なお、虎石は、現在東山区の東大谷(大谷祖廟)に安置されているそうです。
親鸞聖人が亡くなった地に日本最初の小学校が建てられたことには、何かご縁を感じますね。
今も京都御池小学校では、将来の日本や京都を支える中学生たちにしっかりとした教育がなされていることでしょう。
なお、法泉寺については下のWEBサイトで、その歴史が紹介されています。