石峰寺の羅漢参道にびっくりの中でたくさんの石仏について紹介しました。
この石仏の下絵をしたのが伊藤若冲たっだのですが、若冲はいったいどういう人物で京都とどのような関係があったのでしょうか?
少しばかり調べてみたので、紹介したいと思います。
伊藤若冲の略歴
伊藤若冲は、江戸時代の画家です。簡単に若冲の生涯を書くと以下の通りです。
正徳6年(1716年)に京都の錦小路の青物問屋の跡取り息子として生まれる。23歳で父の他界により青物問屋を継ぐ。
禅に傾倒し、相国寺の禅僧・大典顕常に参禅し若冲居士の号を与えられる。
写生を基礎として動植物を描くのが得意で、特に鶏画家として知られている。
晩年は石峰寺の小庵で隠棲し、寛政12年(1800年)に85歳で亡くなった。
簡単に書くとこういったところです。詳しくは伊藤若冲-Wikipedia-を参考にしてみてください。
京都との関係
伊藤若冲と京都との関係ですが、生まれも育ちも京都だったことから生粋の京都人と言えるでしょう。
特に禅に対して強い思いがあったようで、相国寺や石峰寺といった禅寺とも深い縁があったようです。
wikipediaを読んでいたら、右端に相国寺の伊藤若冲のお墓の写真が掲載されていました。
あれ、ちょっとおかしいのでは?
伊藤若冲のお墓は石峰寺にあり、下の若冲のお墓の写真は石峰寺で撮影したものです。
石峰寺と相国寺の若冲のお墓はどっちが本物なのか?
実は、どっちも本物のようです。
片瀬五郎さんのブログによると、相国寺のお墓は若冲が生前に建てられた生前墓で、石峰寺のお墓は若冲が亡くなった時に遺体を葬ったお墓だそうです。
なるほど、若冲の2つのお墓はそういうことだったんですね。
伊藤若冲の作品については、グーグルなどで検索するとたくさんヒットします。興味のある方は一度検索してみてください。やはり、鶏の絵がたくさんありますね。
京都では、京都国立博物館や相国寺の承天閣美術館に若冲の作品が保管されています。
承天閣美術館には、釈迦三尊図が保管されています。動植物だけでなく、仏教に関係した絵も残しているのが若冲の特色でもあります。
伊藤若冲は、鶏の絵から石仏群まで江戸時代を代表する芸術家であるとともに、禅に強い関心を持った京都人だったんですね。