近江屋跡に坂本竜馬の肖像が出現

慶応3年(1867年)11月15日に京都市中京区の近江屋で、坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺されました。

近江屋事件については、以前に過去記事で紹介していますので、ご覧になってください。

近江屋は、人通りの多い河原町通の四条と三条の間にあるので、ご存知の方が多いことでしょう。

私もこの辺りは、よく通るのですが、近江屋跡にあったコンビニがなくなって違うお店になっているのに気づいたのは、つい最近のことです。

そう言えば、人込みを避けるために裏道を歩くことが多く、河原町通は、最近、あまり歩いていなかったんですよね。

坂本竜馬の肖像

以前は、近江屋跡を示す石碑と京都市の説明書が立っているだけだったのですが、今は、坂本竜馬の肖像も脇にあります。

近江屋跡

近江屋跡

これはなかなか目立ちますので、道行く人がちらちらと見てから、通り過ぎていきます。

中岡慎太郎の肖像がないのが、ちょっとかわいそうです。

現在、近江屋跡にあるのは、「京のとんぼ」というお店で、回転ずしのかっぱ寿司の系列店です。

2013年12月にオープンしたそうです。

私はお店に入ったことがないのですが、店内は、江戸時代の藩邸をイメージした造りになっているようですよ。

年季の入った石碑

お店は、コンビニからお寿司屋さんに新しく変わっていましたが、「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と刻まれた石碑は、昔のままです。

坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地

坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地

文字の隙間が、ところどころ汚れており、年季が入っているのがわかります。

石碑は、ピカピカなものよりも、汚れている方が、歴史の世界に思いを馳せるのに適していますね。

坂本竜馬と中岡慎太郎を暗殺したのは、誰なのかというのは、現在でも、いろいろと説があります。

新撰組や薩摩藩なんかも疑われていますが、京都見廻組が下手人だというのが、今のところ有力な説です。

これは、明治になってから、京都見廻組の今井信郎(いまいのぶお)が証言したものです。

子母澤寛の「新選組始末記」に記述があるので、引用します。

明治三年二月から九月に到る、兵部省及び刑部省の今井信郎口書判決によれば、下手人は、佐々木唯三郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂準之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎の七名となっている。今井は京都見廻組七十俵六人扶持の旗本で、後ちに東海道金谷の村長をしていた事がある。丈のすらりとした人物で、腕はなかなか冴えていた。

事件当時、坂本竜馬と中岡慎太郎は近江屋の2階におり、1階には、しもべの藤吉がいました。

新選組始末記によると、刺客たちは、近江屋に入ると藤吉を斬り、渡辺、高橋、桂が2階へと上がって、その中の2人が竜馬と慎太郎を斬ったということです。

おそらく、これが真相なのでしょうね。

ちなみに新選組始末記は、子母澤寛が、昭和初期に新撰組関係者に取材した内容をまとめたものなので、そこに記述される事柄は、割と信憑性が高いと思います。

幕末の暗殺現場に飲食店ができるのが、最近の京都の流行なのでしょうか?

池田屋跡にも居酒屋ができていますからね。

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参考文献