10月末に京都市上京区の相国寺に立ち寄りました。
特に拝観しようというわけではなかったのですが、近くを通りかかったので、境内に入った次第です。
相国寺には何度も訪れたことがあるのですが、意外に気付かずに素通りしていたところがいくつかありました。
宗旦稲荷の伝承
相国寺境内。
法堂(はっとう)の前に植えられたたくさんの赤松。
幹の赤色が日焼けした人の肌のような色をしていて、力強さを感じますね。
この赤松が植えられている場所から少し東に進むと、宗旦稲荷(そうたんいなり)という社があります。
江戸時代の初めころ、相国寺で千宗旦の茶会が開かれました。
宗旦は、有名な茶人だったので、その点前は見事なもの。
だから、出席者も弟子たちも宗旦の点前には、いつも見とれていました。
ある日、宗旦の茶会が催され、弟子たちも出席者たちも、いつものように宗旦の点前に感心していました。
そして、茶会が終わり宗旦が、その場を去った後、また、宗旦が現れます。
後から来た宗旦は、茶会に遅れたことを謝り、再び茶会が始まりました。
そのようなことが何度も起こり、弟子たちは、宗旦の偽物がいることに勘づき始めます。
そして、ある日の茶会で弟子たちは、偽物の宗旦を捕まえたところ、それは宗旦に化けたキツネでした。
キツネは、以前から人に化けて、坐禅に出席したりしており、その際、宗旦の点前の見事さに憧れ、自分も真似をしたくなったとのこと。
このキツネの点前をこっそりと見ていた本物の千宗旦は、その見事さに感じ入ったといわれています。
現在、相国寺の塔頭(たっちゅう)の慈照院には、その時の茶室が残っており、中には千宗旦に化けたキツネの置物・宗旦狐が安置されています。
茶室の窓が、他のものよりも大きくなっているのですが、これは宗旦狐が逃げようとした時に窓を壊してしまったので、その後、修理をして大きくなったのだとか。
さて、この宗旦狐ですが、幕末に亡くなってしまいます。
ある時、豆腐屋の前を通りかかると、店で作っていた油揚げの中にネズミが落ちてきたので、店主がそれを捨てたところ、宗旦狐が拾って食べました。
すると、今までの神通力が解けて、普通のキツネに戻ってしまったところを犬にほえられます。
慌ててその場から逃げた宗旦狐。前をよく確認していなかったのでしょうね。井戸に落ちて、そのまま死んでしまいました。
宗旦狐を哀れに思った人々は、供養のために相国寺境内に社を建てました。
それが、宗旦稲荷です。
弁財天
宗旦稲荷の近くにも似たような社が建っています。
こちらは、弁財天を祀った社ですね。
不思議なことに鳥居の上には小さな石がたくさん置かれています。
何かのおまじないなのでしょうか?
休憩所のようになっている割拝殿のような建物には、ヘビの絵馬がかかっていました。
弁財天と言えばヘビですよね。
この絵馬は、昭和4年(1928年)の巳年に奉納されたものです。
相国寺の弁財天は、もともとは京都御苑内にあった久邇宮家(くにのみやけ)の邸宅に延宝4年(1676年)に守護神として祀られたものだとか。
明治になって久邇宮家が、東京に移転した際、明治18年(1885年)に寄進を受けて現在の場所に再建されたということです。
相国寺の弁財天は、頭に宇賀神を頂いたものということですが、拝殿からは、その姿を拝むことができませんでした。
芸能の神さまとして信仰されているので、習い事をされている方は、お参りをしておくと状態つするかもしれませんよ。
社殿がきれいだなと思っていたのですが、今年2013年に解体修理の後落成したということです。
道理できれいなわけですね。
なお、相国寺の弁財天は、平成19年(2007年)に京都府指定有形文化財となっています。
弁財天の近くでは、フヨウの花が咲いていましたよ。
時期的にはスイフヨウかと思われます。
他の花は、元気がなかったのですが、上の写真に写っている1輪だけが元気に咲いていましたよ。
なお、相国寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。