京都市東山区の八坂神社の中に疫神社(えきじんじゃ)という神社が建っています。
場所は、西楼門から境内に入ってすぐのところ、お店がたくさん並んでいる辺りです。
疫神社のご利益は、その名からもわかるように疫病除けです。
祀られているのは、蘇民将来命(そみんしょうらいのみこと)です。
疫神社が、疫病除けにご利益があるというのは、祭神の蘇民将来と関係があります。
山中をさまよう旅人
下の写真に写っているのが疫神社です。
疫神社の鳥居には、額がなく、これは八坂神社の七不思議のひとつとされています。
その昔、中国の山中をさまよう旅人がいました。
道に迷った旅人は、歩き続けて、お腹が空いて疲れてきました。
日も暮れだしてきたので、今夜泊まるところはないかと探し続けていると、1軒の豪邸が目の前に現れました。
今晩はここに泊めてもらおうと思って旅人が、門をたたくと、中から裕福そうな主が出てきました。
その主の名は、巨旦将来(こたんしょうらい)といいます。
旅人は事情を説明し、今夜一晩の宿となんでもいいから食べ物を分けて欲しいと頼みました。
しかし、巨旦将来は、どこの誰だかわからない者を泊めることはできないと言って、旅人を追い出してしまいます。
旅人は、大いに失望し、また日が暮れて暗くなった山中を歩くことにしました。
山中を歩いていると、今度は、みすぼらしいあばら家が現れました。
旅人はこんな家では、人を泊める余裕もなさそうだし、食べ物も分けてもらえないだろうと思いましたが、とりあえず門をたたくことにしました。
すると、中から貧しそうな主が出てきました。
主は、優しい笑みとともに旅人を家の中に入れ、自分の夕食を半分分け与えました。
そして、自分は土間に寝ることにし、旅人には藁で作った寝床を用意してあげました。
この貧しい家の主は、蘇民将来といい、実は巨旦将来の兄でした。
翌朝、旅人は蘇民将来に礼を言い、彼に茅(かや)の茎で作った輪を渡し、これを肌身離さず持っていれば、疫病に架かることはないと言って、再び旅に出ました。
この旅人、実は疫病神で、それからしばらくして、この辺りを疫病が襲いました。
蘇民将来は、旅人からもらった茅の輪を持っていたので、疫病にかかりませんでしたが、巨旦将来の家族は疫病によって絶えてしまいました。
夏越祭
毎年、6月末になると神社では、茅の輪が置かれ、参拝者は作法にのっとって、これをくぐると、病気にならないと伝えられています。
この行事を夏越(なごし)の祓(はらえ)といいます。
疫神社では1カ月遅い7月末に夏越祭が行われます。
この時、「蘇民将来子孫也」という護符を授かると、疫病を免れることができると言われています。
なお、山中をさまよった旅人は、日本では、素戔嗚命(すさのおのみこと)とされています。
神話の中で、素戔嗚命は、天界の高天原(たかまがはら)を追放され、出雲の山中をさまよい歩いたとされています。
この神話の内容と中国から渡ってきた旅人の話とが重なり、山中をさまよい歩いた旅人が素戔嗚命ということになったのです。
毎年7月31日に疫神社で行われる夏越祭が終わると、1ヶ月間に及ぶ祇園祭も終了します。
なお、八坂神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。