京都市下京区の七条大橋の西に小さな神社が建っています。
七条大橋とビルに挟まれるようにひっそりと建っているので、気づかずに素通りしてしまいそうな神社です。
いや、視界には入っているけども、景色に溶け込んでいるので、無視して通り過ぎてしまうといった方が良いのかもしれません。
その神社の名は、松明殿稲荷神社(たいまつでんいなりじんじゃ)といいます。
伏見稲荷大社の境外末社
下の写真に写っているのが松明殿稲荷神社です。
松明殿稲荷神社は、伏見稲荷大社の境外末社で、田中社とも呼ばれています。
伏見稲荷大社は、京阪電車の七条駅から南に3つ目の伏見稲荷駅の近くに建っているので、末社としては意外と遠くに建っているように思います。
末社というと境内に小さな祠がある程度なんですけどね。
そう考えると、松明殿稲荷神社は、立派な末社と言えます。
創建は天暦2年(948年)ということなので、千年以上の歴史があります。
社名は、創建から8年後の勅(みことのり)による燎祭で、炬火(たいまつ)殿の号を賜ったことに由来するそうです。
現在の松明殿の呼び名は、江戸時代の観光ガイドの都名所図会によると、伏見稲荷大社の春の稲荷祭のとき、当社の氏子が松明を灯して神輿を迎えていたことによるとされています。
石造りの鳥居をくぐって境内へ。
すると、もうひとつ朱色の鳥居が現れます。
お稲荷さんと言えば、やっぱり朱色の鳥居ですね。
商売繁盛を願って本殿にお参りしておきましょう。
松明殿稲荷神社は、当初は、ここよりも西の黒門通塩小路付近、今だと梅小路公園あたりに建っていたそうです。
その後、現在の東本願寺付近の七条東洞院などを経て、宝永8年(1711年)に当地に遷ってきました。
創建はかなり昔ですが、当地に定まったのは、江戸時代だったんですね。
小さな神社なので、それほど見るものはなく、お参りをしてすぐに出ることに。
でも、実は、ここには天智天皇と大友皇子の木像が安置されているそうです。
完全に見逃してしまいましたね。
本殿の中を覗くと見れたのでしょうか。
他にも境内の西には、木喰正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ)の銘のある手洗石と井戸もあったようです。
養阿は、江戸時代中期に東海道日ノ岡峠の改修工事に心血を注いだ人物として知られています。
ちなみに現在の山科区には、養阿の遺跡がいくつも残っています。
松明殿稲荷神社は小さな神社ですが、興味深いものが残っている神社だったんですね。
なお、松明殿稲荷神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。