木屋町三条で見た時代祭-吉野時代の楠公上洛列・2025年

10月22日に木屋町三条に見に行った時代祭。

室町洛中風俗列が賑やかに通過した後は、吉野時代の列がやって来ます。

吉野時代とは聞いたことがない人もいらっしゃるでしょうが、南北朝時代のことです。

奈良の吉野に南朝があったことから、吉野時代と言われているんですね。

楠公上洛列の登場

行列が、吉野時代の旗を先頭に河原町三条の交差点を左折し、三条通に入って来ました。

吉野時代

吉野時代

吉野時代の旗の後ろには、楠公上洛列(なんこうじょうらくれつ)の旗。

楠公上洛列

楠公上洛列

この列を奉仕するのは、平安講社第9社と第11社です。

元弘3年(1333年)6月に後醍醐天皇が配流先の隠岐から還幸した際、楠木正成が一族郎党を率いて兵庫に出迎え、先駆して上洛した時の様子を再現しています。

白色の菊水の旗と柿色の錦の御旗も三条通にやって来ました。

菊水紋旗と錦旗

菊水紋旗と錦旗

後ろの壁が灰色であること、また、この日は曇りだったこともあり、菊水の旗も錦の御旗も、沈んだ色に見えました。

楠公一代の盛儀であった上洛の列には似合わない空模様ですね。

楠木正成は、建武の新政の功績から後醍醐天皇より菊紋を賜りましたが、畏れ多いということで、半分は水に流した菊水紋にしたと伝えられています。

そうすると、楠木正成が上洛した時には、まだ菊水紋を旗にしていなかったと思われますが、そこは深く考えないことにしましょう。

甲冑姿の楠木正成と楠木正季

列の先頭を貝役と太鼓が進みます。

法螺貝

法螺貝

ブオー、ブオーと腹の底から力を入れて吐き出す法螺貝の音は、これから合戦が始まるのかと思わせる迫力。

本列は、ほとんどの人が甲冑を身につけているので、織田公上洛列より勇ましく見えますね。

菊水の旗と錦の御旗の後ろから堂々と進む馬上の武士が楠木正成。

頭に被る大きな兜は三鍬形二方白五枚しころ兜(みつくわがたにほうしろごまいしころかぶと)。

「しころ」は「革」に「毎」と書きますが、漢字に変換できませんでした。

楠木正成

楠木正成

着用しているのは、赤地菊水文錦の鎧直垂(よろいひたたれ)に紫裾濃縅大鎧(むらさきすそごおどしおおよろい)。

制作費が1千万円ともいわれる甲冑は、主将らしい威圧感を放っていますね。

右がオレンジ、左が青の袖が、なかなかおしゃれであります。

左手には重藤の弓も握られていますよ。

ゆっくりと過ぎ去っていく楠木正成。

楠木正成の後ろ姿

楠木正成の後ろ姿

腰にはきたるは、豹鞘に収めた兵庫鎖長覆輪太刀(ひょうごぐさりながふくりんのたち)。

背に負う矢を入れる箙(えびら)は、白猪逆頬箙(しろいさかつらえびら)。

肩を守る大袖は、上から下にかけて、白色が徐々に濃い紫色に変化しています。

楠木正成の次に登場したのが、弟の楠木正季(くすのきまさすえ)。

カメラ目線で写真撮影に応じてくれました。

楠木正季

楠木正季

頭に被るのは、長鍬形二方白五枚しころ兜(ながくわがたにほうしろごまいしころかぶと)で、鍬形が楠木正成より1本少ない2本となっています。

鎧は逆沢潟縅大鎧(さかおもだかおどしおおよろい)。

左手には保呂(ほろ)付け重藤の弓を持ち、右手は手綱を握っています。

信号待ちのため、しばらく輪乗りをしており、写真は撮り放題でした。

楠木正季の後ろからは、鎧櫃が進みます。

鎧櫃

鎧櫃

同様の鎧櫃は楠木正成の後ろにも見られました。

このような備品も、何気に中世の軍隊らしさを演出していますね。

楠木正季の次の騎馬は侍大将です。

侍大将

侍大将

兜には鍬形がなく、あっさりとしています。

楠木兄弟と異なり、鎧の下に着用している鎧直垂の色もやや地味。

それでも、歩いて進む兵たちより立派な衣装であることがわかります。

楠公上洛列の最後尾は、裃袴の人たちの列。

最後尾

最後尾

最後尾は、どの列も同じですね。

楠公上洛列は、木屋町三条でちょうど信号待ちとなったため、兵たちの甲冑をじっくり見ることができましたよ。

この後は、中世婦人列の登場です。

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