高田松原の松で造られた真福寺の大日如来坐像

清水寺の参詣道である清水坂を上って行くと、途中で左に産寧坂(さんねいざか)が現れます。

そして、産寧坂を過ぎて、少し清水坂を上った左手にお土産物屋さんに混ざって小さなお堂が建っています。

このお堂は、真福寺(しんぷくじ)というお寺で、大日堂の通称の方が比較的知られています。

国内外から大勢の人が訪れる清水坂なのに大日堂に入る人はまばら。

堂内には、高田松原の松で造られた大日如来坐像が安置されており、清水寺に行く途中でも帰りでも良いので立ち寄ってもらいたいですね。

いつも開いているお堂

こちらが真福寺です。

真福寺

真福寺

いつもお堂は開いており、正面に金色に輝く大日さまが祀られています。

真福寺は、清水寺宝性院末の寺院で、弘法大師空海作と伝わる大日如来坐像を安置していたことから、大日堂と呼ばれるようになりました。

正面に祀られている大日さまは、現在は、空海作のものではなく、京都伝統工芸大学校仏像彫刻専攻科の学生を中心にして造立されたものです。

津波で流された松から造立

2011年3月11日。

東日本大震災が起こり、東北地方を巨大津波が襲いました。

この津波で、岩手県の高田松原の7万本以上の松が流され、松林が壊滅的な打撃を受けましたが、1本だけ流されずに残った松があり、奇跡の一本松と呼ばれるようになりました。

真福寺の説明書によると、流された松のうち、約700本が戻り着き、同年8月2日に京都伝統工芸大学校仏像彫刻専攻科の学生さんたちが、その中の1本を選定し、8日から大日如来坐像の製作を開始したとのこと。

27日に「陸全高田市復興まちづくりイベント」に参加し、最初のノミ入れを行い、会場の高田小学校では1,500人超の方々がノミ入れを体験しました。

10月23日には、宮城県塩釜市でも「ひとノミ一削り」を開催し、やがて、11月12日から大阪で「一万人のひとノミ一削り」運動が展開され、同月19日にはブータン国王夫妻もノミ入れを行っています。

神戸でも「一万人のひとノミ一削り」が開催された後、約1,500枚の金箔を用いて全身金色にし、そして、古色仕上げされた姿で、2012年2月4日に京都府南丹市園部町で、大日如来坐像の初披露が行われます。

2月10日には、山田京都府知事による開眼、角川京都市長によるノミ入れも行われました。

同年4月には、越前高田市で完成した大日如来坐像が披露され、清水寺の大西英玄住職による法要も行われ、高田小学校でノミ入れをされた方々も参拝したそうです。

そして、同年5月1日に輿に乗せられた大日如来像と台座が、清水寺の門前町を巡行し、同寺の本堂舞台に鎮魂と復興を祈願し奉納され、入山開眼法要が営まれた後、真福寺に祀られました。

大日如来坐像

大日如来坐像

真福寺の大日さまには、誰でも自由にお参りできます。

堂内には、腰を掛けて休憩できる場所も設けられていますから、東山散策で疲れた時に中に入って、大日さまを拝むのも良いでしょう。

お堂にかかっている絵馬は、古いもののように見えますが、東日本大震災後、大日如来坐像が製作されたことを描いたものとなっています。

絵馬

絵馬

絵馬の下にでも、英語や中国語で、大日如来坐像が製作された経緯を記しておけば、海外からお越しの方も大日さまを拝んでいきそうですね。

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