10月22日に神宮道で観覧した時代祭。
江戸時代婦人列の次は、豊公参朝列と織田公上洛列で構成される安土桃山時代の行列がやって来ます。
豊公参朝列
安土桃山時代の旗が目の前を通過していきました。
そして、その後ろから続くのは豊公参朝列です。
豊公参朝列は、天下統一した豊臣秀吉が参内する時の様子を再現したものです。
先頭を進む馬に乗っているのは、豊臣政権の五奉行の一人である前田玄以です。
続いて、同じ五奉行の石田三成と浅野長政もやって来ました。
行列のちょうど真ん中あたりで、豊臣秀吉が乗る牛車が登場します。
牛車は、檳榔毛唐庇車(びんろうげからひさしぐるま)と呼ばれる立派なものです。
豊臣秀吉の参内は、慶長元年(1596年)5月の子の秀頼の初参内、同2年9月の秀頼の元服のときが最も盛儀であったとされています。
牛車の後ろからも五奉行の増田長盛と長束正家が馬に乗って続きます。
織田公上洛列
豊公参朝列の次にやってきたのは、織田公上洛列です。
永禄11年(1568年)に織田信長が上洛した時の様子を再現しています。
先頭の馬に乗って登場したのは立入宗継。
立入宗継は、上洛する織田信長を迎えた人物です。
その後ろからやってきた武将は丹羽長秀です。
織田家の重鎮で、本能寺の変で織田信長が急死した後は、羽柴秀吉の下で働いています。
こちらは羽柴秀吉です。
沿道に向かって手を振る姿が、人付き合いの良かった本物の秀吉を想像させますね。
羽柴秀吉の後ろから登場したのが、本列の主役の織田信長です。
甲冑も陣羽織も見事ですな。
信長の後ろに続くのは滝川一益。
兜の長い角は、いつ見ても立派です。
織田信長が武田家を滅ぼした後、信州を拠点としましたが、本能寺の変の後の清須会議に出席できず失脚しています。
最後に登場したのは、柴田勝家。
こちらも、織田家の重鎮で鬼柴田の異名を持っていた武将です。
織田信長の死後、賤ケ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ、その後、北ノ庄で滅亡しています。
織田公上洛列は、どの武将も甲冑姿が迫力がありますね。
本列も、時代祭では人気でしたよ。
この後は、室町幕府執政列が登場します。