1月中旬。
京都市東山区の大将軍神社に参拝しました。
大将軍神社は、桓武天皇が平安遷都(794年)をした際、都の四方を守るために創建した大将軍社の一つです。
交通量が多い三条通の少し南に建つ大将軍神社ですが、参拝者は少なく境内はいつも静かです。
東三條社の石柱
大将軍神社には、地下鉄の三条京阪駅、または、京阪電車の三条駅から東に約5分歩くと到着します。
三条通を南に曲がると、大将軍神社の南西角に鳥居があるので、ここから境内に入ります。
高い場所から参拝者を出迎えている狛犬。
右前足で、球を踏んづけていますね。
境内の中央に建つ拝殿は、台風で倒壊した後に再建されたものです。
拝殿の後ろには本殿が建ち、その後ろには、御神木のイチョウが植えられています。
大将軍神社のイチョウは、樹齢800年と伝えられています。
それでは、本殿にお参りをしましょう。
祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と藤原兼家です。
平安京東の三条口から都に邪霊が侵入するのを防ぐために創建された神社ですから、災いが身に降りかからないようにお願いしておきましょう。
境内の西側には、折れたエノキの御神木があります。
このエノキも台風の被害にあい、折れてしまいました。
その折れたエノキは、隣の荒熊稲荷社を直撃し、社殿が壊れてしまったのですが、こちらも、今は再建されピカピカの姿になっています。
でも、再建されてほっとしているところで、2対あった狛狐のうち1対が盗難にあい、現在は、社殿前の狛狐は留守になっています。
早く戻ってるようにお願いしておきましょう。
境内の北西角に建つ土蔵。
土蔵の近くでは、ナンテンが赤い実を付けていました。
冬になると、ナンテンの実をよく見かけます。
境内の南東角の天満宮と白龍弁財天の間には、東三條社と刻まれた石柱が立っています。
当地は、平安時代に藤原兼家の邸宅があった東三條の森です。
藤原兼家の娘は、円融天皇の女御となり、後一条天皇を産んでいます。
また、彼の子には、摂関政治の代名詞とも言える藤原道長もいます。
その道長が、鎮守として祀ったのが、東三條社です。
そういうこともあり、大将軍神社は、東三條社とも呼ばれています。
藤原兼家邸は、その後、応仁の乱で壊廃し、今は東三條社の名称が残るだけとなっています。
現在は、あまり目立たない神社となっていますが、かつては、この付近に立派な邸宅が建っていたんですね。
東側の鳥居の前でも、ナンテンの実がなっていました。
京都は本格的な冬を迎え寒さが厳しくなっていますが、ナンテンのつやつやした赤い実は、今が最も元気に見えますね。
そろそろ大将軍神社から出ましょう。
いつもながら、人がおらず静かでしたよ。
この後は、満足稲荷神社に参拝します。
なお、大将軍神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。