初秋の神應寺で見るサルスベリ・2023年
9月中旬に京都府八幡市の石清水八幡宮に参拝した後、男山の中腹に建つ神應寺(じんのうじ)にも参拝しました。 神應寺は、石清水八幡宮と関係があり、宇佐八幡から八幡大神を男山に勧請(かんじょう)した行教によって創建されたお寺です。 この時期に神應寺に参拝するのは、今回が初めてのような気がします。
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9月中旬に京都府八幡市の石清水八幡宮に参拝した後、男山の中腹に建つ神應寺(じんのうじ)にも参拝しました。 神應寺は、石清水八幡宮と関係があり、宇佐八幡から八幡大神を男山に勧請(かんじょう)した行教によって創建されたお寺です。 この時期に神應寺に参拝するのは、今回が初めてのような気がします。
9月中旬。 京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に参拝しました。 石清水八幡宮は、京都市から南西の方角に位置しており、平安時代から都の裏鬼門を守る社として崇敬されてきました。 朝廷だけでなく武家からも崇められてきた歴史があり、男山の山上に立派な社殿が建っています。
京都市上京区の本満寺は、境内に立派な枝垂れ桜が植えられていることで知られ、春になると多くの旅行者や観光客がお花見に訪れます。 当寺の墓地には、尼子氏の忠臣として知られる戦国武将の山中鹿之助のお墓があります。
京都市中京区の京都市役所がある辺りは、上本能寺前町という地名になっています。 その名からもわかるようにここは本能寺があった場所です。 本能寺と言えば、織田信長が明智光秀に討たれた本能寺の変が有名ですが、事件現場は、上本能寺前町から南西の四条西洞院の辺りです。 その後、再建が進み、天正17年(1589年)に豊臣秀吉の命により寺町御池に移転しています。
京都市北区にある大徳寺は、広々とした境内を持つ臨済宗のお寺です。 境内には、一般公開されているものから通常非公開のものまで、たくさんの塔頭(たっちゅう)寺院が建っています。 大徳寺に塔頭が多く建っているのは、ここで織田信長の葬儀が行われたことと関係があります。
慶長5年(1600年)9月15日。 戦国武将が東軍と西軍に分かれて戦った関ケ原の戦いが起こりました。 勝利したのは、徳川家康率いる東軍です。 東軍を勝利に導いたのは、小早川秀秋でした。 小早川秀秋は、西軍に属していながら東軍に寝返り、陣取った松尾山から一気に駆け下って同じ西軍の大谷吉継を急襲します。 これにより、西軍は壊滅的な打撃を受け、わずか半日で天下分け目の大戦は終わりました。
8月末に護王神社に参拝した後、烏丸通を南に約15分歩き六角堂を訪れました。 六角堂は、烏丸御池のビジネス街や寺町の繁華街から近く、この辺りに来た時についでにお参りをしたくなりますね。 地元の人の憩いの場にもなっており、境内の景色は、どことなく落ち着きがあるように見えます。
8月末に京都市上京区の京都御苑にサルスベリを見に行った後、今出川通を挟んだ西側に建つ護王神社に参拝しました。 護王神社は、平安遷都に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)とその姉の和気広虫(わけのひろむし)を祀っています。 京都に縁の深い祭神を祀っていることから、京都御苑を中心に京都に観光で訪れた際は、護王神社にも立ち寄りたいですね。
8月末に下御霊神社に参拝した後、北西に約5分歩き、京都御苑を訪れました。 京都御苑は、上京区に広々とした敷地を持っており、苑内では多くの植物を見ることができます。 夏から初秋にかけては、サルスベリが赤い花を咲かせることから、それを見に京都御苑を訪れた次第です。
8月末に京都市中京区の行願寺に参拝した後、寺町通を北に1分ほど歩き下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)にも参拝しました。 下御霊神社の境内にはサルスベリが植えられています。 サルスベリは赤色の花を咲かせるものをよく見ますが、下御霊神社には赤色の他に白色の花を咲かせるサルスベリもあり、毎年8月から9月にかけて楽しめます。