初夏の同聚院で美しく咲く白バラのユキサン・2023年

5月上旬に京都市東山区の東福寺に参拝した後、臥雲橋を北に渡り、塔頭(たっちゅう)の同聚院(どうじゅいん)に参拝しました。

この日は、同聚院に参拝する予定はなかったのですが、塀際でたくさんの白バラが咲いていたことから立ち寄ることにしました。

モルガンお雪の名が付けられた白バラ

同聚院には、JRまたは京阪電車の東福寺駅から南東に約5分歩くと到着します。

塀際で純白の花をたくさん咲かせている白バラは、ユキサンという品種です。

塀際で咲くユキサン

塀際で咲くユキサン

ユキサンという名は、世界三大財閥のモルガンの妻であるモルガンお雪にちなんだものです。

お雪は、明治14年(1881年)に生まれ昭和38年(1963年)に81歳で亡くなった女性です。

お雪は、もとは祇園の芸妓で胡弓の名手として知られており、モルガンに見初められ国際結婚をしました。

同聚院の説明書によると、当時は国際結婚が難しい状態だったのですが、お雪は、女性の信仰を集めていた菩提寺の同聚院と山科区の折上稲荷神社を篤く信仰し、苦心の末難局を乗り越え国際結婚をしたとのこと。

そして、日本のシンデレラとして世界の社交界へ足を踏み入れたそうです。

お雪がモルガンと結婚し、日米友好の先駆けとして大きく報じられると、同聚院と折上稲荷神社は、「働く女性の守り本尊・守り神」として社会進出する全国の女性に広く知られるようになります。

ユキサンの後ろには、「働く女性の守り本尊」と記されたのぼりが多数並んでいます。

のぼりとユキサン

のぼりとユキサン

同聚院の山門。

山門

山門

中に入ってお参りをする人はほとんどおらず静かであります。

山門には「土」と「力」が一体になった文字の下に不動明王と書かれています。

土力不動明王

土力不動明王

現在の東福寺一帯は、平安時代中期に藤原忠平が法性寺(ほっしょうじ)を建立した地で、寛弘3年(1006年)には、藤原道長が40歳の賀に当たって、五大明王を安置する五大堂を境内に造営しました。

同聚院は、その五大堂の遺跡で、五大明王からのちに不動明王が祀られるようになりました。

山門をくぐって境内に入ると、正面に五大堂が建っています。

境内

境内

五大堂へと続く石畳の脇には、赤バラのマヌウメイヤンも咲いていました。

マヌウメイヤン

マヌウメイヤン

それでは、五大堂にお参りをしましょう。

五大堂に祀られている不動明王は、仏師定朝(じょうちょう)の父康尚(こうしょう)の作と伝えられており、重要文化財に登録されています。

先ほどの山門に書かれていた「土」と「力」が組み合わさった文字は、藤原道長が夢の中で不動明王から授かった印であり、古くから土地の守護を表す土力不動(どりきふどう)、十万の眷属(けんぞく)を従えて衆生(しゅじょう)を救済する十万不動(じゅうまんふどう)、十方あまねく不動の力を照らす十方不動(じっぽうふどう)などと称されています。

火除や厄除の霊験あらたかなお不動さまとして信仰されているそうです。

境内にはカエデも数本植えられており、新緑もきれいでした。

新緑に混ざって赤色のカエデの葉もありますね。

赤色のカエデ

赤色のカエデ

山門を出て、再び塀際のユキサンを見に行きます。

たくさんのユキサン

たくさんのユキサン

ユキサンは、フランスのメイアン氏が作出した白バラです。

新品種の白バラ「ユキサン」は、お雪の三回忌に際して、彼女を慕ってフランスから同聚院へ献花されました。

同聚院では、このユキサンを育て続けることを住職の大切な仕事としているそうです。

ユキサンのアップ

ユキサンのアップ

真っ白なユキサンを見た後は、塀際を北に歩きます。

塀際の新緑

塀際の新緑

たくさんの青葉を付けた立派なカエデの下は、ひんやりとして涼しかったです。

この後は、勝林寺に参拝します。

なお、同聚院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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