8月下旬に京都市下京区の本覚寺(ほんがくじ)を訪れました。
本覚寺は、源氏物語の光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)が住んでいた河原院塩竃(かわらのいんしおがま)の第があった場所と伝わっています。
今は、あまり知られていないお寺でしたが、かつては末寺14を有していた浄土宗のお寺です。
サルスベリが咲く
本覚寺には、京阪電車の清水五条駅から西に約5分歩くと到着します。
河原町通の1本西の富小路通沿いですね。
地下鉄だと五条駅から東に徒歩約8分です。
山門の前には、本覚寺を示す石柱が立っています。
そして、その隣には、八文字屋自笑(はちもんじやじしょう)のお墓が当寺にあることを示す石柱も立っています。
八文字屋自笑は、江戸時代中期に八文字屋本と呼ばれるベストセラーを相次ぎ刊行した出版社の全盛期を築いた人物です。
山門をくぐって境内に入ります。
境内には数台の車が停まっています。
他の京都のお寺にも見られるように境内の一部が駐車場となっています。
本堂の前にも門がありますが、中に入ることはできないようです。
門の前には、人の背ほどの高さのサルスベリが植えられていました。
サルスベリは見ごろですね。
本覚寺は、鎌倉幕府3代将軍の源実朝の後室である坊門信子(ぼうもんのぶこ)が、貞応元年(1222年)に西八条の遍照心院(大通院)内に創建したのが始まりです。
寺名は、坊門信子の法名にちなむものです。
その後、梅小路堀川に移転しましたが、応仁の乱(1467年)で荒廃しています。
再建したのは細川政元です。
高辻烏丸に再建された本覚寺は、後柏原天皇の勅願寺となりましたが、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の命により現在地に移転しています。
本堂を囲むように塀があります。
その塀沿いに東に歩いていくと墓地に入ります。
墓地の近くには、道知院というお寺がありましたが、本覚寺と関係があるのでしょうか。
夏の終わりの空は晴れ渡り、頭上は爽やかな水色が広がっていました。
境内には、人がおらず、鐘楼が寂しそうに建っています。
鐘楼に吊るされた梵鐘は、誰にも撞かれることなく静止していました。
そろそろ本覚寺から出ることに。
都市化が進む五条通沿いにあっても、境内は静けさを保っていましたよ。
この後は、上徳寺に参拝します。
なお、本覚寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。