京都市左京区の黒谷に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)という浄土宗のお寺があります。
金戒光明寺は、小高い山の上にあるので、黒谷というより山だろうと思ってしまいます。
黒谷は、浄土宗を開いた法然上人が比叡山で修業をした地であり、山を下りて小さな庵を営んだ当地は新黒谷と呼ばれました。
やがて、「新」がとれて黒谷と通称されることになります。
その新黒谷の最も高い場所には、三重塔が建っています。
徳川秀忠の菩提を弔うために建立した三重塔
市バス停「岡崎神社前」から北に3分ほど歩き、金戒光明寺の南門をくぐった先は墓地の入り口となっています。
ここから長い石段の先を見上げると三重塔が建っているのがわかります。
石段を上れば、間近で三重塔を見上げることができますよ。
石段を少し上った左手には、五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいのあみだぶつ)がいらっしゃいます。
近年、アフロの阿弥陀さまとして、多くの参拝者に親しまれていますね。
石段を上り、三重塔の前にやって来ると、下から見たよりも随分と高い建物のように感じられます。
金戒光明寺の説明書によると、この三重塔が建立されたのは、江戸時代の寛永10年(1633年)とのこと。
建立したのは、伊丹重好(豊永宗如堅斉)です。
伊丹重好は、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠に仕えており、秀忠がなくなった際、その菩提を弔うためにこの三重塔を建てました。
三重塔内部には、文殊菩薩が祀られていたことから、文殊塔とも呼ばれています。
三重塔から振り返り、西に目をやると眼下に金戒光明寺の山門、そして、奥に京都市街が見えます。
ここから眺める秋の紅葉や春の桜も美しいですね。
現在の三重塔には、文殊菩薩の分身が祀られ、左右の脇段には、伊丹重好とその両親、金戒光明寺の28世潮呑上人の木造が安置されています。
かつて三重塔に祀られていた文殊菩薩は、御影堂(みえいどう)に祀られていますよ。
金戒光明寺の文殊菩薩は、運慶作と伝えられ、善財童子、優填王(うでんおう)、最勝老人、仏陀波利三蔵(ぶつだはりさんぞう)を従えた渡海文殊形式で日本三文殊随一として信仰を集めているそうです。
参拝者は、御影堂の中に入ってお参りできますから、この文殊菩薩を拝むことができます。
ほとんどの参拝者が、最初に御影堂にお参りをし、その後で、三重塔の前に行き、御影堂内に祀られていた文殊菩薩が以前は三重塔にあったことに気づくことでしょう。
金戒光明寺の墓地には、徳川秀忠とゆかりのある人々の供養塔もあります。
秀忠の妻のお江(崇源院)、二人の間に生まれた徳川忠長、そして、3代将軍となった家光の乳母の春日局の供養塔を見ることができます。
供養塔は、先ほどの五劫思惟阿弥陀仏の近くにありますから、三重塔に向かう前に拝んでおくと良いでしょう。
なお、金戒光明寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。