1月下旬。
京都市下京区の神明神社に参拝しました。
神明神社を訪れるのは久しぶりのことです。
神社の前を通りかかったことは何度もありますが、中に入ってお参りをするのは10年ぶりくらいでしょうか。
平安時代前期からある神社
神明神社の最寄り駅は、地下鉄の四条駅、または阪急電車の烏丸駅です。
駅からは南東に5分ほど歩くと、綾小路通に面した神明神社の鳥居の前に到着します。
石造りの鳥居は、伊勢神宮などで見かける神明鳥居です。
鳥居の横には、「天満宮」と刻まれた石柱が立っています。
神明神社には、かつて豊園小学校内に祀られていた文子天満宮(あやこてんまんぐう)の祭神が合祀されています。
文子天満宮は、明治30年(1897年)頃、幼稚園と小学校の間の空き地に祀られ、学問の神さまとして崇められていましたが、戦後に神明神社に合祀されることになりました。
ちなみに京都駅の近くにも、文子天満宮がありますね。
鳥居をくぐって境内に入ります。
境内は細長く、それほど広くはありません。
社殿がとても窮屈に見えます。
神明神社の創建年代は定かではありませんが、平安時代前期には存在していたようです。
神明神社に置かれていた説明書によれば、平安時代末期、当地は近衛天皇がしばしば皇居とした藤原忠通の屋敷跡で、四条内裏(しじょうだいり)または四条東洞院内裡(しじょうひがしのとういんだいり)と呼ばれていました。
その屋敷の中に鎮守として祀られていたのが神明神社で、祭神は天照大神です。
後に天台宗の護国山立願寺円光院が管理しましたが、明治初期の神仏分離により神社だけが残り、以後は神明町が管理を行っています。
かつては、エノキの大木があったことから、榎神明とも呼ばれていたそうです。
それでは、本殿にお参りをしましょう。
境内の奥まで行くと、本殿の姿を見られますよ。
神明神社には、源頼政の鵺(ぬえ)退治の伝説も残っています。
近衛天皇の時代、頭は猿、尾は蛇、手足は虎の鵺が夜ごと空に現れ都を騒がしていました。
その鵺を退治したのが源頼政で、神明神社には、鵺退治に使った2本の矢じりが伝わっています。
これが、当社が厄除け、火除けの神さまとして崇められるゆえんです。
矢じりは、今でも祭礼の時に飾られますよ。
毎年9月15日に子供神輿が豊園学区内を練り歩いていましたが、現在は都市化が進み子供が少なくなったことから、近隣町内を練り歩くだけになっています。
翌9月16日が大祭日で、かつては、町内いっぱいに露店が出ていましたが、現在は、交通事情の変化に伴い趣が変わり、厄除・火除祈願のお札と神饌が参拝者に授与されています。
なお、祭礼日は9月第2土曜日と翌日曜日となっています。
境内の隅には小さな手水屋があります。
手水鉢には水が張っていますが、蛇口は締められていましたよ。
神明神社は、境内が狭いためか、私が参拝している間に訪れる人はいませんでした。
今は小さな神社ですが、歴史のある興味深い神社なので、四条烏丸にお越しの際に立ち寄ってはいかがでしょうか。
この後は、京都大神宮に参拝します。
なお、神明神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。