1月下旬に京都市中京区の本能寺に参拝した後、御池通を西に5分ほど歩き御所八幡宮を訪れました。
御所八幡宮は、境内が狭いため、ただ歩いていると見落としてしまうことがあります。
歴史のある神社ですが、その狭さのためか、参拝者の姿は少ないですね。
足利氏の鎮守社
御所八幡宮の最寄り駅は、地下鉄の烏丸御池駅です。
駅からは、御池通を東に5分ほど歩けば御所八幡宮に到着します。
境内を囲む塀には、「御所八幡宮」と書かれた案内が掲示されています。
入り口には、北向きに石造りの鳥居が建っています。
鳥居をくぐって境内に入ります。
広さは駐車場のないコンビニくらいでしょうか。
境内には、車が2台駐車してたので、さらに狭く感じました。
西向きに建つ本殿にお参りをしましょう。
祭神は、応神天皇、神功皇后、比売神(ひめがみ)です。
御所八幡宮の説明書によると、当宮は、村上源氏の一門である中院氏が、源氏の氏神である石清水の若宮を邸内に勧請奉斎していたものだそうです。
弘安元年(1278年)10月13日の二条内裏焼失の際、後宇多天皇が前内大臣中院通成の三條坊門万里小路邸に行幸し、しばし内裏となります。
後宇多天皇は、この行幸で親しく八幡宮にお参りをしたことから、御所八幡宮と名付けられました。
南北朝時代になると、足利尊氏の弟の直義がこの地に邸を構えましたが、兄尊氏によって毒殺され、邸は取り壊されます。
そして、石清水八幡宮の若宮を再興造営し、足利氏の鎮守社としました。
なお、当宮は、足利尊氏の称号にちなみ等持院御所八幡宮とも呼ばれています。
他に高倉八幡宮や三條坊門八幡宮とも呼ばれています。
本殿の前には天満宮社があります。
天満宮社の前には、牛がいましたよ。
今年は丑年なので、しっかりと拝んでおきましょう。
御所八幡宮は、皇室や武門の崇敬を集めましたが、応仁の乱(1468年)後の戦国時代を経て衰退していきました。
江戸時代には、御池通の南、堺町通の西、高倉通の間に境内を有し、明治時代には御所八幡宮として村社に入ります。
しかし、戦時中の強制疎開により、境内は狭くなり現在の規模となりました。
今は、初音学区とその近在の守護神として崇敬されています。
手水鉢に日が当たり、水がきれいに透き通っていました。
境内の西の端には、意味ありげな瓦が2枚置かれています。
境内の南西角にあるのは、皇太子殿下御成婚記念碑です。
昭和34年(1959年)9月に建立されたものですから、これは現在の上皇さまがご結婚された時の記念碑ですね。
記念碑の隣には、稲荷社と高良社があります。
青空に向かって伸びるクスノキ。
灯籠には、八幡宮と刻まれていましたよ。
御池通を歩く人は多いですが、私が境内にいる間、御所八幡宮に入ってきた人は1人だけでした。
この辺りで働いている人たちにとっては見慣れた神社なので、境内に入ろうとはしないのかもしれませんね。
この後は、神泉苑に参拝します。
なお、御所八幡宮の詳細については以下のページを参考にしてみてください。