10月26日に行われた時代祭を烏丸御池付近で見てきました。
室町時代の行列までが過ぎ、吉野時代の行列がやってきました。
吉野時代とは聞きなれない時代ですが、南北朝時代のことです。
南北朝時代は、後醍醐天皇の南朝、足利尊氏が擁立した持明院統の天皇を北朝として、戦いが繰り広げられた時代です。
皇族が2つに分かれる原因を作ったのは、足利尊氏だということで、彼を朝敵とする歴史観があります。
そのため、時代祭では南北朝時代と言わず、南朝があった吉野から、吉野時代とされています。
楠公上洛列
吉野時代の最初は、楠公上洛列です。
楠公(なんこう)とは、南朝の忠臣楠木正成のことです。
鎌倉幕府を倒そうとした後醍醐天皇は、幕府にその計画を知られ隠岐に流罪となりました。
しかし、倒幕の流れは変わることなく、楠木正成は赤坂城を築いて幕府軍と戦います。
その楠木正成の家紋が菊水で、楠公上洛列の前方を進みます。
楠木正成、足利尊氏、新田義貞の活躍により鎌倉幕府が滅亡すると、後醍醐天皇は隠岐から京都に還幸することになりました。
楠木正成は、兵庫まで一族郎党を率いて後醍醐天皇を迎え京都まで先導。
その時の様子を模したのが楠公上洛列です。
菊水の旗の後ろに続く甲冑姿の武将が、その楠木正成。
楠木正成の後ろからは、弟の楠木正季(くすのきまさすえ)も続きます。
記事を投稿した際、以下の写真を楠木正季と紹介していましたが、正しくは侍大将です。
楠木正季の後ろを甲冑姿の一族郎党が歩いて進みます。
中世婦人列
楠公上洛列の次は中世婦人列の登場です。
中世婦人列がやって来た頃から、烏丸通を北に歩きながら時代祭を見ることに。
同じ場所にいると、全ての行列を見るのに約2時間かかりますが、こちらから行列を迎えるように進行方向と逆に歩いて行けば、観覧時間を短縮できます。
日本の中世は、平安時代後期から安土桃山時代までの時代です。
頭に薪を乗せている女性は、大原女(おはらめ)です。
大原女は、左京区の大原から薪や炭などを頭に乗せて、京の町まで売りに来ていた女性たちです。
大原女の次は桂女(かつらめ)の行列がやって来ました。
桂女は、桂川の鮎や飴を京の町で売り歩いた女性たちです。
現在の京都市西京区に住んでおり、婚礼や出産の時に祝詞をとなえる巫女などを業としていました。
桂女の次は、淀君。
淀君は、豊臣秀吉の側室で、秀頼の母です。
供の者が傘をさし、侍女たちを引き連れて歩いて行きます。
続いて、藤原為家の室の阿仏尼です。
阿仏尼は十六夜日記の作者として知られています。
中世婦人列の最後に登場するのは、静御前です。
白拍子だった静御前は、源義経の愛妾となりましたが、義経が兄の頼朝に追われる身となった時に別かれています。
中世婦人列は、平安時代後期から安土桃山時代までの長い期間の女性の衣装を一気に見ることができます。
時代祭を見ていると、着物と一口に言っても、時代によって形が違うことがよくわかりますね。
この後は、鎌倉時代の行列がやってきます。
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匿名