9月中旬。
京都市左京区の本妙寺に参拝しました。
本妙寺には、あまり訪れることがないのですが、9月に近くを通りかかると境内に入りたくなります。
その理由は、本堂前の萩がきれいな花を咲かせるからです。
見ごろの赤色の萩
本妙寺は、地下鉄三条京阪駅または京阪電車の三条駅から北東に10分ほど歩いた辺りに建っています。
東大路通と仁王門通が交差する辺りですね。
本妙寺の山門の前に到着。
空には雲ひとつない青空が広がります。
山門をくぐって境内に入ると本堂が建っているのでお参りをしましょう。
本妙寺は、正和4年(1315年)に日蓮の法孫である日像が、洛北岩倉を巡行中、代官の渡辺氏の帰依を受け、その邸宅を寺としたのが始まりです。
その時の寺は、ほどなくして中絶しましたが、天正2年(1574年)に妙覚寺18世の日典が再興しています。
本堂の左前に植えられている萩は、やはり予想どおりに赤色の花をたくさん咲かせ見ごろを迎えていました。
萩を見上げると、奥の本堂にかかる「本妙寺」の扁額も見えます。
9月中旬になり、京都は少しずつ気温が下がっています。
そのためか、秋らしくススキの穂が伸びていましたよ。
カエデの葉は青々としており、まだ夏の名残があります。
境内の東側には、矢ツ車留吉碑が置かれています。
とても大きな石碑であります。
矢ツ車留吉は、明治時代に京都相撲で活躍した力士です。
このような立派な石碑が建立されるのですから、人気があったんでしょうね。
萩越しに境内の東に建つ義士堂を眺めます。
赤穂浪士が吉良上野介の屋敷に討ち入りをした後、宝永元年(1704年)に京都在住の赤穂浅野藩御用商人であった綿屋善右衛門が、かねてより親交のあった赤穂義士の貝賀弥左衛門、その兄の吉田忠左衛門、その子の澤右衛門の三義士と貝賀の妻のおさんの4名の合祀石碑を貝賀が菩提寺としていた当寺に建立しました。
それゆえ、当寺は、義士の寺と呼ばれています。
義士堂は、貝賀の子孫9代目斎藤トラが昭和5年(1930年)に義士の遺品などを納めたことから建てられたものです。
足元にはヤブランも咲いていました。
義士堂の近くに寄ってみると、白色の萩の花が咲いていました。
ただ赤色の萩よりも花数は少な目です。
これから、多くの花を咲かせそうです。
本妙寺から出て仁王門通を東に少し歩くと、歩道脇で白色と赤色のフヨウの花がきれいに咲いていましたよ。
青空の下で見るフヨウの花は、とても爽やかですね。
この後は、平安神宮に参拝しました。
なお、本妙寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。