病気やケガをした時に治療のために使う薬は、いつから利用されていたのか知りませんが、日本だと江戸時代に全国に薬園が設置されていました。
有名なところでは、江戸の小石川薬園がありますが、京都にも北区の鷹峯(たかがみね)に寛永17年(1640年)に江戸幕府により、「鷹ヶ峰薬園」が設けられています。
千本通沿いに残る鷹ヶ峰薬園跡の石碑
佛教大学から千本通を北に20分ほど歩くと、源光庵や光悦寺といった紅葉の名所で知られる鷹峯に到着します。
鷹ヶ峰薬園は、その間にあったようで、跡地はコンビニのセブンイレブンになっています。
そのセブンイレブンの駐車場の入り口には、この地が鷹ヶ峰薬園であったことを示す石碑と説明書が設置されています。
説明書によれば、鷹ヶ峰薬園は、60間(約110メートル)四方の規模があったそうで、管理をしていたのは、徳川家に仕え、天皇の典医でもあった藤林道寿(ふじばやしどうじゅ)でした。
藤林家は、歴代、道寿を称しており、明治維新になって解任されるまで、薬園の管理を勤めていたとのこと。
弘化4年(1847年)の記録では、鷹ヶ峰薬園で栽培された薬種のうち95種が天皇に献上され、73種が江戸に運ばれていたそうです。
しかし、明治以後は、鷹ヶ峰薬園は、茶畑などの農地に転用されました。
跡地には、石碑が建てられることなく、月日が経過し、戦前に京都市教育会が建碑計画を持っていたようですが、実現しませんでした。
江戸時代に営まれた薬園では、先ほど述べた小石川薬園跡は、今も東京大学理学部が管理し使用しており、他にも、長崎県の旧島原藩薬園跡、奈良県の森野旧薬園、鹿児島県の佐多旧薬園が、国の史跡に指定されています。
鷹ヶ峰薬園跡に石碑が建立されたのは、2010年11月です。
寄贈者は故山田真さんで、「特定非営利活動法人 京都歴史地理同好会」が建立したようです。
今も鷹ヶ峰薬園跡には名残があるそうで、わずかながら農地が存在し、土地の区画も生きているほか、旧藤林邸の井戸も現存しているようです。
京都には、数多くの史跡が残っていますが、何らかの石碑が設置されていなければ、そこが歴史上、重要な場所であったかどうかがわかりません。
京都を歩いていて、歴史にに親しみを感じられるのは、史跡に石碑が設置されているからなんですね。
もしも石碑が全くなければ、京都散策の楽しみが半減しそうです。
現在も、京都では新しい石碑が設置されていますから、これから、もっと歴史に親しみを持てる街になっていくと思います。