9月上旬に京都市上京区の北野天満宮に参拝した後、そこから東に数分歩いた辺りに建つ千本釈迦堂を訪れました。
千本釈迦堂は、春になると阿亀桜(おかめざくら)と呼ばれる立派な枝垂れ桜が咲くことで知られていますね。
春は、この阿亀桜を見に来る方が多いのですが、それ以外の季節に千本釈迦堂に参拝する人は少な目です。
秋へと向かう境内
千本釈迦堂は、市バス停「上七軒」から北に5分ほどの場所に建っています。
「千本上立売」からだと西に徒歩約5分です。
参道の入り口に到着。
民家に挟まれた細い参道は北にまっすぐのびています。
参道の先の山門をくぐって境内へ。
山門近くから境内を眺めると木々が多いため、本堂が見えませんね。
境内の西側から本堂を眺めます。
本堂には、釈迦如来座像が祀られています。
ゆえに千本釈迦堂と呼ばれています。
千本釈迦堂は、大報恩寺というお寺なのですが、本堂があまりにも有名なため千本釈迦堂の愛称で親しまれています。
鎌倉時代に建立された本堂は、応仁の乱(1467年)の兵火でも焼けず、市内最古の木造建築として国宝に指定されています。
檜皮葺の屋根を眺めていると、心が和みます。
それでは、本堂にお参りをしましょう。
境内の東側のカエデが色づき始めていました。
つい最近まで暑い夏だったのにもう秋がすぐ近くに迫ってます。
カエデの近くの阿亀像。
阿亀さんは、内助の功で有名ですね。
阿亀さんの名にちなんだ阿亀桜は、花が咲いていなくても美しい姿をしています。
こちらは境内の少し西側に建つ北野経王堂です。
明徳2年(1391年)、足利義満は、反乱を起こした山名氏清を内野の原で討滅しました。
義満は、自分に背いたとはいえ、山名氏清のこれまでの功労武勲を思い、彼の一族や戦死者の追福のために1,100人の僧侶を集めて供養します。
その後、東山の三十三間堂の倍半もある大堂を建立し北野経王堂願就寺と名付け、毎年10月に10日間にわたって万部経会ならびに教典書写等の仏事を行いました。
この行事は、北野経会と呼ばれ、代々、室町幕府が踏襲しました。
しかし、江戸時代に入ると荒廃し、今では千本釈迦堂の境内に小堂が残っているだけです。
千本釈迦堂は、阿亀桜が目立っていますが、本堂の左前に植えられている松の木も立派な姿をしてます。
松の巨木を見ていると、千本釈迦堂が歴史のあるお寺だと気付かされますね。
そろそろ境内から出ましょう。
山門近くのカエデは、まだ緑色で夏の名残があります。
参道脇で咲く赤色のフヨウと白色のサルスベリに過ぎゆく夏を感じましたよ。
なお、千本釈迦堂の詳細については以下のページを参考にしてみてください。