毎年10月22日は、京都で三大祭のひとつである時代祭が行われます。
時代祭は、明治維新時代から延暦時代まで、歴史をさかのぼるように各時代の衣装を着た行列が京都の町を練り歩きます。
出発は京都御所の建礼門で、河原町通や三条通を進み平安神宮へと向かいます。
ということで、京都御苑に時代祭を見に行ったので、その模様をお伝えします。
維新勤王隊列
時代祭は、正午に建礼門前から出発します。
その1時間ほど前に京都御苑に到着し、有料観覧席の近くの見やすい場所を確保し祭りが始まるのを待つことに。
11時40分頃に山国隊の笛の演奏があり、そして、正午になって行列が建礼門から南に向かって進み始めました。
先頭は、京都府知事や京都市長などの人力車。
その後に時代祭ののぼりを持った列が過ぎていきます。
時代祭の最初は明治維新時代です。
そして、明治維新時代の先頭を行くのは維新勤王隊列です。
維新勤王隊列は、戊辰戦争(ぼしんせんそう)で新政府軍に参加した山国隊によって構成されています。
山国隊の先頭は、笛を吹きながら進みます。
その後ろからは、のぼりを持った列や騎馬の列が続きます。
山国隊の行列は、人数が非常に多く、まさに軍隊といった感じです。
逆さにした銃を右肩に担いで歩調を合わせながら進む山国隊は、とても勇ましいです。
維新志士列
維新勤王隊列の次は維新志士列の登場です。
維新志士列では、桂小五郎、西郷吉之助(隆盛)、坂本龍馬など明治維新に貢献した志士たちが登場します。
下の写真に写っているのは長州藩士の高杉晋作です。
14代将軍徳川家茂が上洛した時、沿道から「いよ、征夷大将軍」と声をかけて一目散に逃げていったのが、高杉晋作の最も印象に残る京都での活動ですね。
さすがに沿道から「いよ、高杉晋作」と叫ぶ人はいませんでした。
維新志士列には歴史的に有名な人物が登場しますが、中には、あまり知られていない人物もいます。
この記事では、知名度が比較的低い人物を数人紹介します。
下の写真に写っている鎧姿の人物は吉村寅太郎です。
吉村寅太郎は、土佐藩を脱藩した後、天誅組の首領となります。
孝明天皇の大和行幸に先だって奈良の五条代官所を襲撃する天誅組の乱を起こし戦死しています。
こちらは梅田雲浜(うめだうんぴん)です。
安政の大獄の犠牲者第1号となった人物ですね。
続いて吉田松陰。
吉田松陰は長州藩士で、松下村塾を運営し多くの勤王の志士たちを輩出しました。
先に登場した高杉晋作も彼の門下生です。
こちらは姉小路公知(あねのこうじきんとも)です。
公卿にしては剛毅な性格だったのですが、ある夜、テロリストに襲撃されて命を落としています。
維新勤王隊列の最後に登場するのは平野国臣(ひらのくにおみ)です。
天誅組の変の後に起こった生野の変の首謀者です。
事件はすぐに鎮圧され、六角獄舎に入牢。
蛤御門(はまぐりごもん)の変が起こった時に逃亡のおそれがあったことから幕府の役人に処刑されています。
他にも、近衛忠煕(このえただひろ)、中山忠能(なかやまただやす)など、多くの人がその名も聞いたことがない人物が登場します。
時代祭は、明治時代に始まった行事なので、きっと、その頃は有名な人ばかりだったのでしょう。
この後は、江戸時代に入ります。