河原町御池にある御土居跡を示す石碑
豊臣秀吉は、天下統一を成し遂げると京都を囲む土塁を構築しました。 この土塁は、御土居(おどい)と呼ばれており、現在でも北野天満宮にその遺跡が残っています。 京都は洛中と呼ばれていましたが、その範囲は豊臣秀吉が築いた御土居で仕切られた範囲を差します。 そして、当時の洛中の東の端が現在の河原町通でした。
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豊臣秀吉は、天下統一を成し遂げると京都を囲む土塁を構築しました。 この土塁は、御土居(おどい)と呼ばれており、現在でも北野天満宮にその遺跡が残っています。 京都は洛中と呼ばれていましたが、その範囲は豊臣秀吉が築いた御土居で仕切られた範囲を差します。 そして、当時の洛中の東の端が現在の河原町通でした。
9月28日は、大きな満月が見れる日。 そのスーパームーンを見るために京都府八幡市の背割堤(せわりてい)に行ってきました。 背割堤は桜の名所。 今は桜の花は咲いていませんが、それでも風情のある月見ができるだろうと期待して午後6時過ぎに背割堤にやってまいりました。
9月27日は中秋の名月でした。 京都の空は雲がなく、おそらく、どこからでも中秋の名月を楽しめたのではないでしょうか。 私が中秋の名月を観賞したのは、京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)です。 何も行事は行われていなかったのですが、石清水八幡宮には展望台があるので、そこから名月を楽しもうと思った次第です。
京都市中京区の河原町御池の交差点を歩いていたら、南西角のZest御池の入り口近くに石碑が立っているのに気づきました。 以前は、こんなところに石碑はなかったのですが、知らない間に建立されたんですね。 河原町御池の南西角に立つ石碑には、「北隣地 明治時代 山本覚馬・八重邸宅跡」と刻まれています。
京都市伏見区は、幕末に様々な事件が起こった地です。 薩長両藩が幕府軍に勝利した鳥羽伏見の戦いは、その名のとおり伏見で起こっていますし、それ以前にも歴史に残る事件が、ここ伏見では数多く起こっています。 そして、幕末の事件の現場となることが多かったのが旅籠(はたご)の寺田屋で、今も建物が残っています。
京都市伏見区に油掛通という名の道路があります。 その名は、通りに西岸寺(さいがんじ)というお寺があり、そこに油掛地蔵が祀られていることが由来とされています。 さて、油掛通には、「我国に於ける電気鉄道事業発祥の地」と刻まれた石碑があります。 そう、日本での電鉄の営業は、京都市から始まったのです。
京都市左京区に満足稲荷神社という神社が建っています。 参拝すると満足できそうな社名ですが、実際に満足した人がいたから、このような社名になったんですよね。 満足したのは、あの豊臣秀吉です。 秀吉が、朝鮮出兵の際、稲荷神に祈願したところ連戦連勝で満足したことから、伏見城に稲荷神を祀りました。 そのお稲荷さんが、現在の満足稲荷神社なのです。
9月19日に京都市左京区に建つ平安神宮の神苑を拝観しました。 この日は、神苑が無料開放されるので、とてもお得な日なのです。 時期的には萩やフジバカマといった秋の花が咲く頃ですが、それ以上にきれいだったのが、神苑の池と一緒に見る秋空でした。
9月19日。 この日は、京都市左京区の平安神宮で神苑が無料開放されます。 時期的に神苑内は、萩の花がたくさん咲いている頃です。 ということで、19日に平安神宮に萩の花を見に行ってきました。
毎年9月中旬から下旬にかけて、京都市上京区の梨木神社(なしのきじんじゃ)で萩まつりが行われます。 2015年は、9月19日から23日のシルバーウィークの期間に合わせて萩まつりが行われることから、多くの参拝者で境内が賑わうことが予想されます。 ということで、萩まつり初日の19日に梨木神社に参拝してきました。