京都の伝統的な住宅と言えば、京町家がすぐに思い浮かびます。
最近では、古くなった町家を修理できなくなった居住者が手放すこともありますが、それを改修して1棟貸切の宿として存続している建物も増えていますね。
どのような形であれ、京都の文化が残ることは良いことだと思います。
また、京町家の中には、江戸時代から現在まで使われ続けているものもあります。
京都市下京区の長江家住宅もそのひとつです。
蛤御門の変の後に再建される
長江家住宅は、地下鉄四条駅から西に5分ほど歩いた辺りに建っています。
見るからに京町家といった感じの造りですね。
でも、個人の住宅よりも大きいです。
長江家は代々呉服の卸を営んできました。
この地に転居してきたのは、文政5年(1822年)のことです。
元治元年(1864年)7月に起こった蛤御門(はまぐりごもん)の変で主屋北棟が焼失しましたが、慶応4年(1868年)に再建されています。
私は何気なく建物の前を通りかかっただけなのですが、見学できることもあったようです。
外から少しだけ建物の中を覗いてみると、男性が何やら作業をしていましたよ。
きっと仕事をしているのでしょう。
説明書によると、長江家住宅は、通りに面して2棟の主屋が建ち、その後方に離れ座敷と化粧部屋、その奥に土蔵2棟が並んでいるそうです。
主屋南棟と離れ座敷は明治40年(1907年)、天窓のついた化粧部屋は大正4年(1915年)に建てられたものだとか。
他にも土蔵が2棟あります。
形式の異なる2棟の主屋を始めとして、離れ座敷や土蔵などが一連で残り、また、当家の建築関係の文言が多く残っていることから、当時の住宅の普請工程を知る上で貴重だそうです。
京都市指定有形文化財になっている理由がよくわかります。
所有者が企業に変わる
でも、どんなに貴重な建物でも、代々受け継いでいく後継者がいなければ存続できません。
長江家住宅も、平成27年(2015年)5月に所有者が変わることが決まりました。
次のオーナーは株式会社フージャースコーポレーションで、立命館大学と協力して長江家住宅の保全と活用を行うそうです。
立命館大学は、これまでも長江家住宅の研究を行ってきており、学生さんたちもその運営に協力していました。
所有者が企業に移ることで、今後も長江家住宅が存続していくのは良いことですね。
無くなっていく町家が多い中、こうやって存続する町家もあるから、京都の町並みはいつまでも大きく変化することがないのでしょう。