天正10年(1582年)6月2日。
この日は、織田信長が京都の本能寺で明智光秀によって自害に追い込まれた本能寺の変が起こった日です。
本能寺は、現在も京都市中京区の寺町御池に残っていますが、事件が起きた時とは違う場所にあります。
でも、境内には、織田信長のお墓があり、参拝者は誰でもお参りできます。
ビルに囲まれた境内
本能寺の最寄り駅は、地下鉄京都市役所前駅です。
そこから、3分ほど南に歩けば本能寺の山門が現れます。
私が訪れたのは5月中旬です。
山門前では、赤色のサツキの花がきれいに咲いていましたよ。
山門の近くには日蓮聖人の像も立っています。
本能寺は寺町のアーケード街にあり、周辺にはお土産物屋さんなどのお店が軒を連ねています。
山門の外からだとこれらのお店やビルに囲まれて、窮屈そうなお寺だなと感じるのですが、境内に入るとそのようなことはありません。
多くのビルに囲まれているのに境内は広々としています。
寺町や新京極の繁華街で、これだけ広い敷地を有しているお寺は、本能寺だけでしょうね。
まずは、境内の中心に建つ本堂にお参りです。
信長公廟
さて、織田信長のお墓に行ってみましょう。
信長の墓は、本堂の後ろにあります。
下の写真に写っているのが、信長公廟です。
本能寺の変が起こった時、当寺は四条西洞院にありました。
4町4面の広大な寺域を誇っており、まるで城郭のような造りをしていたことから、信長は本能寺を常宿として利用していました。
当時の本能寺は、明智光秀に攻められて炎上してしまいましたが、天正17年に豊臣秀吉によって現在地に移転再建されました。
本能寺の変では、信長の嫡男の信忠も戦死していたので、事件の1ヶ月後の7月3日に三男の信孝が本能寺を信長の墓所と定めます。
現在の織田信長の墓は、織田信孝が建立したものと伝えられています。
信長のお墓の隣には、本能寺の変で彼とともに戦死した家臣たちのお墓もあります。
このお墓には、100名ほどが合祀されており、有名なところでは森蘭丸の名も見られます。
寺町や新京極で京都土産を買った後は、本能寺にも参拝して織田信長のお墓にお参りをしてはいかがでしょうか。
繁華街の中心に織田信長のお墓があると、なんとなく歴史上の有名人が身近に感じますね。
織田信長に限らず、京都には多くのお寺に歴史上の人物のお墓があるので、お参りをして廻るのも良い京都観光になると思いますよ。
なお、本能寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。