京都には名水が湧き出る場所がたくさんあります。
そういった場所は地名でわかるようになっていることが多く、堀川、今出川、御池など、水を連想させる言葉が入っているところでは、名水が湧き出ていることが多いですね。
中でも、名水と言えば、伏見が有名で、昔は伏水と表記していたようにきれいな地下水が豊富です。
そのため、伏見には多くの酒蔵が建ち、今も活気がありますね。
京都の醸造と言えば、伏見をすぐに連想するわけですが、実は、明治10年(1877年)に清水寺にある音羽の滝の水を利用してビールが造られたことがありました。
金色の水が流れる川
清水寺は、世界遺産に登録されており、京都で最も人気のある観光名所です。
創建は、奈良時代の終わりころで、延鎮上人が、夢告により金色の川を探し求め、やがて音羽山中で滝を見つけ、その上に草庵を建てて観音像を祀ったのが始まりとされています。
当初は観音寺と呼ばれていたのですが、音羽の滝の清らかな水にちなんで、後に清水寺と改められました。
今でも、音羽の滝からは水が流れ落ちており、多くの参拝者が柄杓で水をすくっています。
不老長寿、無病息災の霊水と伝えられていることから、それを一口飲もうと、いつも観光客の方たちが行列を作っていますね。
わずか4年間のビール工場
明治時代に入って、首都が東京に遷ったこともあり、京都は次第にさびれていきました。
しかし、そのまま衰退していくのを黙っていることができなかった京都府は、西洋技術を導入した勧業政策を推進していきます。
その一環で、建てられたのが、ビール工場です。
ビールの製造にあたったのは、政府が化学の研究のために造った舎密局(せいみきょく)の創設に尽力した明石博高(あかしひろあきら)です。
明石は、京都府政を指導していた元会津藩士の山本覚馬に乞われて京都府製に参加し、ビール製造を行います。
彼が、目をつけたのは、きれいな水が流れる音羽山で、明治10年に清水寺の近くに麦酒醸造所を設立しました。
ところが、明石が造った麦酒醸造所は、明治14年にわずか4年しか稼働せず、閉鎖しました。
どうやら、当時の京都の人々は、ビールの味に馴染めなかったようです。
もう少し日本国内でビールが普及し始めた時に京都にビール工場を設立していたら、また違った結果となっていたかもしれませんね。
でも、ビール工場が大いに栄えて、製造ラインが次々と増設されていたら、今の観光地としての東山はなかった可能性があります。
清水寺が建つ辺りは、最も京都らしさを感じることができます。
白い石畳の道、その両脇に建ち並ぶ昔ながらのお土産物屋や料理屋。
こういった景観が今も残っていることを考えると、ビール工場が早くに閉鎖されたことが、かえって良かったと言えそうです。
なお、清水寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。