坂本竜馬の妻のお竜(りょう)さんは、寺田屋で竜馬が幕府の役人に捕えられそうになった時、入浴中だったにもかかわらず、着るものも着ずにその危険を彼に報告したことで知られています。
そのお竜が、坂本竜馬と出会う直前まで住んでいたとされるのが、木屋町です。
現在、木屋町の都会館という建物の前にお竜の寓居跡を示す石碑が立っています。
父の死後に一家で住んだ地
下の写真に写っているのが都会館です。
その入り口にまだ建立されて間もないと思われるきれいな石碑が立っています。
これが、お竜の寓居跡を示す石碑です。
石碑の説明書によると、お竜は、青蓮院宮(しょうれんいんのみや)に仕えていた楢崎将作(ならさきしょうさく)の長女として生まれました。
もともとは、柳馬場(やなぎのばんば)通三条下ル東側に住んでいたのですが、文久2年(1862年)6月20日に父が亡くなったことから、一家6人は困窮し、「京都の木屋町」もしくは「四条、うら通りの借家」に移住します。
その後、一家は離散し、お竜は七条新地の扇岩というお店に入り、母と妹の君江は、東山区本瓦町付近の河原屋五兵衛隠居所の土佐亡命志士の居所に住み込んで働きます。
それが縁で、坂本竜馬とお竜は出会うことになったそうです。
木屋町時代のお竜には、妹の光江が悪い輩に騙されて大坂の遊郭に連れていかれた際、単身乗り込んで妹を連れ戻したという話が残っています。
もしかすると、この時の行動が彼女の胆力を鍛え、寺田屋を大勢の幕府の役人に包囲された時、おびえることなく坂本竜馬に危険を知らせることができたのかもしれませんね。
お竜が、住んでいた正確な場所はわかっていないようですが、木屋町通の三条と四条の間のどこかということなのでしょう。
都会館前の石柱には、「此付近 坂本龍馬妻 お龍 独身時代 寓居跡」と刻まれています。
建立したのは、「特定非営利活動法人 京都龍馬会」で、建立時期は2009年3月です。
やはり、まだ建てられて間もない石碑だったんですね、
100年ほど経てば、味のある石碑に仕上がることでしょう。
なお、木屋町通の西にある河原町通には、坂本竜馬が暗殺された近江屋跡の石碑があります。
お竜の独身時代の寓居跡の石碑を見た後は、ついでに近江屋跡にも訪れておきたいですね。
また、お竜の独身時代の寓居跡の近くには、土佐藩邸跡の石碑や坂本竜馬が住んでいた酢屋もあります。
こちらも合わせて訪れると良いでしょう。