京都市東山区に建つ京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)には、明治維新以降、国のために戦った人たちの英霊が祀られています。
特に有名なのが、幕末の勤王の志士たちの慰霊碑で、墓地には坂本竜馬や中岡慎太郎のお墓もあります。
ここに訪れる多くの人は、幕末の志士たちに興味があるようですが、他にも第2次世界大戦で亡くなった人たちの英霊も祀られているので、そういった人たちの鎮魂のために置かれた慰霊碑なんかも見て欲しいですね。
境内に置かれた慰霊碑や顕彰碑
京都霊山護国神社は、高台寺の近くに建っています。
最寄駅は、京阪電車の祇園四条駅ですが、そこからだと20分ほど歩くことになりますね。
歩兵第百二十聯隊の鎮魂碑は、昭和60年(1985年)に置かれたものです。
歩兵第百二十聯隊は、昭和13年に福知山市で編制され、中支戦線に出陣、武漢を攻略するなどの活躍をしましたが、4千人以上の犠牲を出したということです。
鎮魂碑は、歩兵第百二十聯隊の生存者によって造られたものです。
境内で最も目立っているのが、下の写真に写っている特操の碑です。
陸軍特別操縦見習士官たちの中には、特攻で亡くなった人もいたそうです。
こちらは、「あぁ特攻勇士之碑」です。
この碑には、以下の文言が刻まれいます。
この平和と繁栄は、先の大戦における数百万人もの戦死・戦傷病者をはじめ、数多の国民の犠牲の上に立っていることを忘れてはならない
現在、日本は世界有数の経済大国となったわけですが、そうなるまでには、多くの人々の犠牲があったということですね。
昭和の杜
京都霊山護国神社の墓地に入り、南に進むと昭和の杜があります。
ここにも第2次世界大戦で亡くなった多くの人々の英霊が祀られています。
駆逐艦長波の慰霊碑。
駆逐艦長波は、レイテ島沖海戦に参加しましたが、米軍との戦いによってオルモック湾に沈み、247名の方が亡くなりました。
他にもたくさんの戦没者の方の名が刻まれた壁があります。
第2次世界大戦で、わが国は約300万人もの犠牲者を出しました。
ここに祀られている英霊の数は、とても多いのですが、日本全体で見ると、ほんの一部の犠牲者だけしか祀られていないわけですね。
パール博士の顕彰碑もあります。
パール博士はカルカッタ大学の総長で、極東国際軍事裁判にインド代表判事として着任しました。
国際法学者だったパール博士は、この裁判が法に違反するもので、戦勝国の敗戦国に対する復讐劇にすぎないと主張し、連合国側の判事であるにも関わらず、被告全員の無罪を判決しました。
第2次次世界大戦は、日本が他国を侵略したことだけが強調されています。
でも、西洋諸国の植民地支配からアジアの国々を解放したという側面もあります。
昭和の杜の撰文にも以下のように記述されています。
この年代に生を受け、青春を、学業を、職場を、過程をと、全てなげうって戦った意義は、アジアの植民地解放の大理想を強く信じた宿命的戦いであった。このことは歴史の証明するところである。
そして、撰文は以下のように締めくくられています。
祖国日本の繁栄と、世界恒久平和の願いをこめて護国の英霊鎮まる京都霊山護国神社の佳域に『昭和の杜』を造園建設し併せて『従軍記念の碑』を建立するものである。
なお、京都霊山護国神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。