いつの時代でもかっこいい男性は、女性の憧れですよね。
さらに歌がうまいと、好感度がアップします。
しかも、家柄が良かったりすると、なんかもう別次元に住む遠い存在のように感じ、近くに寄るのもためらわれてしまいますね。
現代にもこういった有名人の方がいらっしゃいますが、歴史上にも、容姿端麗、歌がうまい、家柄が良いといった男性が何人もいました。
平安時代前期でいうと、在原業平(ありわらのなりひら)がそうですね。
伊勢物語の主人公
在原業平は、西暦800年代の男性です。
父親が桓武天皇の孫で平城天皇(へいぜいてんのう)の子にあたり、母親が桓武天皇の晩年の娘というのですから、生粋のロイヤルファミリーということになります。
また、業平は、六歌仙、三十六歌仙に選ばれるほど歌がうまかった人物です。
しかも、伊勢物語の主人公とも伝えられています。その中に収録されている短編は、「むかし男ありけり」で始まり、これが在原業平のことだといわれているんですね。
現在では、歌がうまくてかっこいい男性がドラマの主人公になることはよくありますが、これらに加えて家柄まで良いという人は、あまりいないのではないでしょうか。
皇族から臣下へ
ただ、在原業平は、それほど恵まれた人生をおくったわけではないようです。
祖父の平城天皇は、病弱だったため、即位して3年しか経っていないのに弟の嵯峨天皇に譲位して、上皇となります。
政治の中心が平城天皇から嵯峨天皇に移ったわけですから、これをおもしろくないと思う人物も当然ながらいました。
その内のひとりが、平城上皇の愛人であった藤原薬子(ふじわらのくすこ)でした。
薬子は、上皇をそそのかし、反乱を起こしましたが、嵯峨天皇にあえなく鎮圧されます。
その後、平城上皇は出家し、薬子は毒を飲んで自殺しました。
これが、世にいう薬子の変です。
平城上皇の一族であった在原業平にも、当然、被害が及びます。
それまでロイヤルファミリーであった業平は、薬子の変に関わった父の阿保親王(あぼしんのう)が大宰府に左遷されるなどの影響もあり、皇族から臣下に下ることになりました。
その後は、蔵人頭(くろうどのとう)という役職に就いたりしましたが、あまり出世することなく56歳でこの世を去りました。
容姿端麗で歌がうまく、家柄も良かった在原業平。
でも、他人が思うほど恵まれた人生ではなかったようですね。
現在、京都市中京区の御池通に「在原業平邸址」と刻まれた石碑が立っています。
平安時代のアイドルの邸宅跡にしては、とても質素な石碑です。
近くには、在原業平が描かれた自動販売機が置かれていました。
「梅の花香をのみ 袖にとどめ置きて わが思ふ人は 音づれもせぬ」
これは新古今和歌集に収録されている在原業平の歌です。昔の恋を思い出してしみじみと歌ったもののようですね。
業平は、美男子だったわけですから、多くの恋愛を経験していたことでしょう。
上の歌が、誰との恋愛のことを歌ったものなのか私は知りません。
なお、在原業平の恋愛事情については、神田雑学大学のホームページの在原業平(ありわらのなりひら)のあぶない恋愛というページで講義の内容が紹介されていますので、ご覧になってください。