毎年春と秋の2回、京都御所が一般公開されます。2012年の秋は、10月31日から11月4日までの間、無料で誰でも拝観することができます。
普段、京都御所内に入る機会はあまりないので、一般公開が行われるときは、できるだけ訪れたいですね。
ということで、10月31日に京都御所を拝観してきたので、その模様をお伝えします。
明治天皇崩御から100年
京都御所一般公開の入口は、京都御苑内の西にある宜秋門(ぎしゅうもん)です。
御所内に入るには、手荷物検査を受ける必要があります。
宜秋門から中に入り、最初に目にするのは、御車寄(おくるまよせ)と呼ばれる殿上を許された者が参内するための玄関です。
ここには、活花が置かれていました。
御車寄から参内すると諸太夫(しょだいぶ)の間に進みます。
諸太夫の間は、格式の高い順に虎の間、鶴の間、桜の間があり、身分に応じてそれぞれの間に通されます。
下の写真に写っているのは、虎の間です。襖には虎の絵が描かれています。
諸太夫の間の次は、天皇皇后両陛下の玄関である新御車寄(しんみくるまよせ)を見て、月華門へと進みます。
月華門の塀には、明治天皇紀附図という明治天皇記の水彩画のパネル写真が掲載されていました。
2012年は、明治天皇が崩御されてちょうど100年になります。
月華門に掲げられているパネルは、京都御所と関係のあるものとなっています。
紫宸殿から清涼殿へ
月華門を過ぎ、京都御所の一番南の承明門まで来ました。
承明門越しには、紫宸殿(ししんでん)を見ることができるのですが、ここは、多くの拝観者が記念撮影をしているので、なかなか写真を撮ることができません。
でも、承明門の少し東に小さな門があり、そこからでも紫宸殿を見ることができます。
ほとんどの拝観者の方は、この門に気づいていないようだったので、私一人だけ、ここから紫宸殿の写真を撮りました。
京都御所の南東にある建春門の前には、蹴鞠会場が設けられていました。
ちなみに蹴鞠は、11月4日に催されます。
紫宸殿が建つ敷地内に入るために日華門へ進みます。
日華門の近くには、御室流(おむろりゅう)、月輪未生流(つきのわみしょうりゅう)、嵯峨御流の活花が展示されていました。
下の写真は、月輪未生流の活花です。
日華門から次々に拝観者の方が紫宸殿の建つ敷地内に入っていきます。
そして、大きな紫宸殿を見て、どなたも感嘆の声を上げていました。
写真では、大きさが伝わりにくいですが、本当に大きな建物ですよ。
明治元年(1868年)1月15日に明治天皇は、ここ紫宸殿で元服しました。
元服とは、今でいう成人式のことです。
ひょっとして以前の成人の日が1月15日だったのは、明治天皇が元服した日と関係があるのでしょうか。
紫宸殿では、同年2月30日に明治天皇がフランスとオランダの公使を引見しており、3月14日には五箇条御誓文も公表されています。
また、8月27日には、明治天皇の即位礼もここ紫宸殿で行われました。
紫宸殿を見た後は、清涼殿へ向かいます。
清涼殿は、平安時代に天皇の日常生活の場として使用された建物です。
小御所から御三間へ
清涼殿を過ぎた後は、小御所へ。
小御所は、慶応3年(1867年)正月9日に睦仁親王(むつひとしんのう/明治天皇)が践祚の儀を行った場所です。
また、同年12月9日には、江戸幕府15代将軍の徳川慶喜の辞官納地を決定した小御所会議も行われました。
小御所の前には、御池庭(おいけにわ)が広がります。
まだ紅葉には早いようです。
小御所の隣に建つのは御学問所(おがくもんじょ)です。
御学問所は、御読書始めの儀や和歌の会などが催される建物です。
順路に従い進んでいくと、真っ赤なモミジを発見しました。
モミジの向こうに見える建物は、御常御殿(おつねごてん)です。
御常御殿は、天皇の日常の住まいとして使用されていました。
御常御殿の後ろには、御三間(おみま)があります。
建物内では、金色の屏風がキラキラと輝いていました。
御三間の他の部屋では、御手習(おてならい)の場面を再現した人形が置かれていました。
御手習の師範となったのは、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)で、初めて祐宮(さちのみや/明治天皇)におめにかかった場面を再現しているそうです。
御三間まで見た後は、出口へと進みます。
出口の近くには、ススキがきれいに穂を付けていましたよ。
なお、京都御所の詳細については以下のページを参考にしてみてください。