京都市左京区の南禅寺の近くを何気なく散策していると、今まで通ったことのない道路を発見しました。
まあ、発見といっても地元の方は誰でも知っている道路なのでしょうが、観光客の方なんかは、南禅寺に行くことに意識が集中して、見逃していることでしょう。
その道路は、南禅寺道と呼ばれており、北に少し歩くと、洛翠という旅館が建っています。
すでに閉館していた
なかなかきれいな旅館だと思いながら、建物を眺めていたのですが、どうも人の気配がしません。
帰宅して調べたところ、どうやら洛翠は、2009年5月に閉館したとのこと。
しかし、外見からは、閉館したとは思えないですね。もっと、壁にひびが入っていたり、看板が壊れていたりしていてもよさそうなものなんですが。
入口近くに説明書がありましたので、その内容を要約します。
洛翠は、もともと藤田小太郎氏の邸宅で、1,700坪の敷地面積があります。邸宅内の庭園は、平安神宮の神苑や無鄰菴など数々の庭園を手掛けた7代目小川治兵衛が、明治42年(1909年)に造ったものです。
入口近くに枯山水風の庭園があったので写真を撮っておきました。
これが小川治兵衛作の庭園なのかと思ったのですが、どうも規模が小さすぎます。
どうやら、洛翠の庭園は、他にあるようです。
「京都を歩くアルバム」さんが、下記記事で庭園の写真を掲載していますので、ご覧になってください。
いやいや、それにしてもなかなか広大な庭園です。
桜の季節に訪れてみたいですが、現在、庭園に入ることができるのかどうかわかりません。
また、説明書には、平成15年(2003年)から11代目小川治兵衛氏が、復元、修景、維持をしていると書かれていたのですが、洛翠が閉館した今でも、手入れが行われているのでしょうか。
もう一度訪れて確かめる必要がありそうですね。
洛翠の塀際を歩いていると、古風な門も見つかりました。
この門は、不明門(あけずのもん)というそうです。
不明門は、豊臣時代のもので、以前は伏見城にありました。
当地に移される前も移された後も、一度も門を開けたことがないので、このような名が付きました。
それにしても、門の装飾が派手ですね。伏見城の遺構は、このように派手なものが多いです。豊臣秀吉が派手好きだったことと関係がありそうな気がします。
南禅寺にお参りをした後は、洛翠にもふらっと立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
もしかしたら、庭園を鑑賞できるかもしれませんよ。