京都市西京区の阪急電車松尾駅近くを散策していると、谷ヶ堂最福寺旧跡地という場所を見つけました。
最福寺は、平安時代末期に延朗上人が建立したお寺で、何度も戦火に遭い、現在まで再建されることがありませんでした。
それでも旧跡地には、お堂など、いくつか建造物が残っているので、少しばかり敷地内を見ていくことにしました。
意外と興味深い境内
最福寺の旧跡地には、壁などがなく、誰でも入ることができます。
まずは、お堂にお参り。
このお堂には、鎌倉時代に造られた延朗上人座像が安置されているそうです。
境内を見回すと、いろいろと興味深いものがあります。
まず最初に目に入ったのが、「平治・元弘・応仁・元亀の乱 戦火ゆかりの地」と書かれた石碑です。
由緒書によると、延朗上人は、源頼朝の従伯父(いとこおじ)に当たることから、平治の乱で源氏が負けた後、平清盛に追われ、各地を転々としたそうです。
元弘の乱は後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒すために起こした乱で、応仁の乱は室町時代に細川勝元と山名宗前が東西に分かれて争った戦いです。
また、元亀の乱は、織田信長が比叡山を焼き討ちした事件です。
いずれも歴史上の重大事件で、そのたびに最福寺も兵乱に巻き込まれたのですね。
お堂の前には、座禅石という上部が平らな石が置かれています。
座禅石は、法華経を聴くために松尾明神が何度も座った石とのこと。
だから、上部が平らなんですね。
座禅石の隣には、大きな観音様が立っています。
この観音様は、さしのべ観音というそうで、延朗上人八百回大遠忌記念に祀られました。
延朗上人は、承元元年(1207年)に亡くなったので、さしのべ観音が祀られたのは、21世紀に入ってからということになります。だからピカピカなんですね。
他にも境内には、六体地蔵というお地蔵さんが祀られていました。
6体のお地蔵さんには、それぞれ名前があります。6体のお地蔵さんの名前は以下の通りです。
- 大定智悲地蔵(だいじょうちひじぞう)
- 大徳清浄地蔵(だいとくしょうじょうじぞう)
- 大光明地蔵(たいこうみょうじぞう)
- 清浄無垢地蔵(しょうじょうむくじぞう)
- 大清浄地蔵(たいしょうじょうじぞう)
- 大堅固地蔵(たいけんごじぞう)
六体地蔵は、人間が死ぬと天や地獄などに生まれ変わるという六道輪廻(ろくどうりんね)の教えと関係があるようですが、あまり詳しくは書かれていませんでした。
以上が、最福寺旧跡地の境内の様子です。
なかなか興味深い境内なので、阪急松尾駅近くに訪れた時は、最福寺の旧跡地にも立ち寄ってみてください。