京阪電車の三条駅をよく利用する方はご存知と思いますが、この駅の近くには、土下座している像が置かれています。
土下座しているのは、高山彦九郎という江戸時代中期の人物です。
ところで、三条駅の高山彦九郎の像は、なぜ土下座をしているのでしょうか。
熱烈な勤王家だった高山彦九郎
下の写真に写っているのは、三条駅のバスターミナル付近です。
このバスターミナル付近から北に進み、三条大橋の近くに来ると、土下座している高山彦九郎の像があります。
土下座している方角は、北西で、その先には京都御所があります。
そう、高山彦九郎は御所に向かって土下座しているのです。
高山彦九郎は、南北朝時代のことが書かれた太平記を読んで、天皇を敬い、天皇のために働くという勤王の思想を持つようになりました。
彦九郎は、その生涯の中で5度京都に訪れています。
そして、訪れるたびに彼は、京都御所に向かって銅像のように拝礼をしていたのです。
東海道五十三次の起終点で、都の出入口であった三条大橋に高山彦九郎の像が置かれているのも納得ですね。
また、彦九郎は、京都だけでなく、日本中を旅したことでも知られています。
旅先では、知識人と出会って様々なことを学び、また、その土地に住む様々な階層の人々と交わり、見聞を広めたそうです。
しかし、彦九郎の勤王思想は、幕府に警戒されることになります。
彦九郎は、光格天皇の父である典仁親王に尊号を贈ろうという尊号一件という事件に遭遇します。
これについては、最終的に松平定信の反対にあい、保留されることになりました。
幕府に目を付けられた彦九郎は、九州へと旅に出ます。
そして、久留米の森嘉膳宅で自害し、46年の生涯に幕を閉じました。
高山彦九郎の死から約70年後。
幕末の動乱を乗り越え、明治維新が実現します。
明治維新の原動力となったものに尊王攘夷(そんのうじょうい)という思想があります。
この思想は、天皇を敬い、外国人を日本から追い出そうという考え方で、高山彦九郎の勤王思想が強く影響していると言われています。
彦九郎の思想に影響を受けた幕末維新の人物には、西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作などの大物もいました。
三条大橋の近くで土下座している高山彦九郎の像は、一見不思議な姿に思えます。しかし、その姿は、日本の近代化に貢献した姿だったんですね。
なお、高山彦九郎については、以下のWEBサイトで詳しく解説されていますので、ご覧になってください。
高山彦九郎像は土下座か?
さて、三条駅近くの高山彦九郎像は、土下座像の愛称で親しまれていますが、一部でこの姿は土下座ではないという意見があります。
あの姿は、御所に向かって拝礼している姿で、謝罪しているのではないから土下座ではないという主張です。
しかし、三条駅近くの高山彦九郎像の姿は土下座です。
昭和34年(1969年)に初版が発行され、昭和60年に新版9刷発行された小学館の「新選国語辞典<新版>」で「土下座」をひくと以下のように記述されています。
どげざ【土下座】 地上にひざまづいて礼をすること。[昔、大名や貴人が通るときなどにした]
書かれているのはこれだけで、土下座に謝罪の意味があるいう記載はありません。
昨今、テレビドラマの影響などで、土下座を謝罪の態度と思っている人が増えていますが、そもそも土下座に謝罪の意味はないんですね。
確かに土下座することは、相手を貴人と扱うことですから、その姿勢で謝ることは屈辱的なことではあります。
高山彦九郎像は土下座しているのか?
この問いに対する答えは、「土下座している」です。