京都市伏見区に欣浄寺(ごんじょうじ)というお寺があります。
欣浄寺の境内には、小野小町と深草少将ゆかりの史跡がいくつかあるということで、それらを一目見ようと、先日、参拝してきました。
本堂は近代的な建物
実を言うと、欣浄寺には、過去に何回か訪れようとしたのですが、そのたびに断念しています。
その理由は、入口がわかりにくく、しかも、本堂が近代的な建物のため、お寺には見えなかったからです。
最寄駅は京阪電車の墨染駅。
駅を出て西に3分ほど緩やかな坂道を歩くと交差点があります。
その交差点を左折して50メートルほど進むと欣浄寺と書かれた矢印が現れます。
矢印に従って進むと、目の前には、月極駐車場のような敷地が広がっています。
そして、その奥には近代的な建物が後ろ向きに建っています。
この光景をみると、誰だって、人の家に入ってしまったのか、もしくは行き止まりと思ってしまいます。
しかし、その近代的な建物こそが、欣浄寺の本堂なのです。
後ろ向きの本堂に近寄り、辺りを見回すと、境内へと続く狭い隙間があります。
その隙間を通って奥に進み、振り返ると、近代的な建物がお寺の本堂であることがわかります。
欣浄寺は、寛喜2年(1230年)から天福元年(1233年)まで曹洞宗を創った道元がこの地で布教活動を行い、創建したと伝えられています。
本堂には、丈六(約4.85メートル)の毘盧遮那仏が祀られています。
小野小町と深草少将の史跡
本堂にお参りを済ませた後は、境内の散策。
本堂の前には、境内の面積の半分はあろうかという池があります。
この池は、小町姿見の池と呼ばれています。
橋を渡って、池の向こう側に行くと、深草少将姿見の井戸もあります。
欣浄寺は、昔、深草少将の邸宅があった場所と伝えられています。
少将は、現在の山科区に建つ随心院に住んでいた小野小町のもとに毎夜通い続けましたが、99日目に亡くなってしまいます。
このお話は、以前に以下の過去記事で紹介していますので、ご覧になってください。
深草少将姿見の井戸の手前には、「通ふ深草百夜の情 小町恋しい涙の水が 今も湧きます欣洗寺」と書かれた立て札があります。
井戸の近くには、小野小町と深草少将の供養塔も。
他にも境内の東には、「少将の通い道」と呼ばれる藪陰の道があり、訴訟を抱えている人が通ると願いが叶わないと伝えられています。
深草の少将が、毎夜、小野小町のもとに通ったのに思いが届かなかったことが、その由来なのでしょうね。
ちなみに欣浄寺から随心院までは、地図上で、5kmから6kmほどの距離があります。
毎夜、歩いて往復するのは、大変だったことでしょう。
なお、欣浄寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。