発祥の碑が多い月読神社

京田辺市に月読神社という神社が建っています。

創建年代はよくわかっていないのですが、西暦900年頃には存在していたようです。

なかなか長い歴史を持った神社ですね。

この歴史の長い月読神社には、多くの発祥の碑が置かれています。

隼人舞発祥之碑

まず最初に紹介する発祥の碑は、鳥居の左側に置かれている隼人舞発祥之碑です。

月読神社

月読神社

上の写真の左側に写っている大きな石が、その石碑で、拡大して写したのが下の写真です。

隼人舞発祥之碑

隼人舞発祥之碑

隼人とは、古代、薩摩や大隅と呼ばれていた鹿児島県に住んでいた人々を指します。

その中でも大隅隼人と呼ばれた人々は、7世紀頃に現在の京田辺市に多く移住しました。

現在、月読神社が建っている辺りの地名を大住というのは、これが由来のようです。

大隅隼人達は、天皇の即位のときなどに朝廷で郷土の隼人舞を演じたと伝えられており、また、月読神社にも奉納して舞い伝えてきたそうです。

石碑には、「隼人舞発祥」と刻まれていますが、「隼人舞伝承地」という方が正しいように思います。

ちなみに石碑の近くにある説明書には、「隼人舞伝承地」と記載されています。

戸山流居合道発祥之碑

鳥居の右側には、戸山流居合道発祥之碑が置かれています。

戸山流居合道発祥之碑

戸山流居合道発祥之碑

戸山流居合道は、大正14年(1925年)に陸軍戸山学校で始まった居合道です。

その極意は、実戦を想定した立ち居合だそうです。

居合と聞くと、まだ腰に刀を指していた時代に誕生した武術かと思いましたが、戸山流居合道は、近代に誕生した新しいものなんですね。

詳しい内容については以下のWEBサイトをご覧になってください。

  • 戸山流居合道会 京田辺本部

2013年4月28日追記:上記WEBサイトは閉鎖しています

進徳小学校跡

発祥の碑とは、少々違いますが、月読神社の北側には進徳小学校跡の石碑が置かれています。

進徳小学校跡
進徳小学校跡

進徳小学校は、明治6年(1873年)に開校され、現在の京田辺市、八幡市、城陽市を区域としていました。

八幡市と城陽市に住んでいた小学生は、通学にかなりの時間がかかったでしょうね。

宝生座発祥の碑

最後に紹介するのは、月読神社の境内に置かれている宝生座発祥の碑です。

宝生座発祥の碑

宝生座発祥の碑

能楽の流派に宝生流という流派があり、その一座が宝生座です。

月読神社と当社の神宮寺だった宝生山福養寺に奉納したのが宝生座だったそうです。

以上が、月読神社にある発祥の碑です。

隼人舞、戸山流居合道、能楽に興味がある方は、一度、月読神社に訪れてみてはいかがでしょうか。

なお、月読神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。