京都市東山区には、巨大な観音像が座っているところがあります。
そこは、高台寺や京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)が建っている付近で、その巨大な観音像は、霊山観音と呼ばれます。
霊山観音には、節分の日に訪れて、ショウガ入りの甘酒をいただいたことを過去記事で紹介しましたが、今回は霊山観音についてもう少し詳しく書いてみたいと思います。
霊山観音は誰が造ったのか
霊山観音は、門の外からでも見えるくらい大きいのですが、境内に入って見るとよりいっそう迫力があります。
特に真下から見ると大迫力。背景の山と青空がスケールの大きさを際立たせています。
ところで、この巨大な観音像は、一体誰が造ったのでしょうか。
霊山観音の歴史は、意外に新しく、昭和30年(1955年)にある篤志家の方によって、第2次世界大戦の戦没者の英霊を弔うために建立されました。
これだけの規模の観音像を建立するのには、相当な費用がかかったことでしょう。
霊山観音を眺めていると体の中が、どうなっているのか気になってきます。
ということで、霊山観音の中に入ってみることにしました。
霊山観音の体の中への入り口は、背中にあります。
中は、薄暗くなっていて、十二支の守り本尊が祀られています。
自分と同じ十二支の守り本尊を拝んでおくといいのではないでしょうか。
願いの玉
境内に入るとどうしても巨大な霊山観音に目が行ってしまいますが、他にも興味深いものがいろいろとあります。
そのひとつが願いの玉。結構大きな球体をしています。
霊山観音の境内は、平安時代から風水的な吉地とされています。
そのため、この辺りは、大自然と観音様の妙知力がみなぎっているとか。
そして、それら天地の気が集まっているのが、願いの玉だそうです。
願いの玉には、実際に触れることができ、手を触れたまま願いごとを祈願して右回りに一周すると願いごとが叶うと言われています。
もちろん、私もぐるっと一周してみました。
料理にまつわる慰霊碑や供養塔
霊山観音の境内を観ていて気付いたのは、料理にまつわる慰霊碑などがあることです。
観音像の裏手には、愛染明王(あいぜんみょうおう)が祀られており、その近くには、ふぐの慰霊碑がありました。
京都府ふぐ組合の説明書きを読むと、ふぐは縄文時代や弥生時代から食されてきたとのこと。
そんな太古の昔からふぐが食べられてきたとは知りませんでした。
また、ふぐの慰霊碑の近くには、京料理供養塔もあります。
料理道を志す人たちのよりどころとし、料理道を極めて旅立たれた方の偉業を讃えるために建立されたそうです。
普段、何気なく口にしている食べ物も先人の努力がなければ、食べることができなかったことを考えると感謝しなければいけませんね。
これらの慰霊碑や供養塔は、石段の上に祀られているのですが、そこから後ろを振り返ると、なんとも大きな仏足跡が置かれていることに気付きます。
この仏足跡は、6畳ほどの大きさです。
霊山観音は、観音像だけでなく、願いの玉や仏足跡まで巨大でした。
霊山観音は、拝観料200円が必要になります。