あなたは、あの世があると信じますか?
信じるか信じないかはあなた次第です。
ところで、京都には、この世とあの世の境目があるのをご存知ですか?
六道珍皇寺にある冥土への入り口
京都市東山区の京阪清水五条駅から10分程度歩いた場所に六道珍皇寺というお寺があります。
このお寺の入り口には、「六道の辻」と刻まれた石が置かれています。六道の辻とは、この世とあの世の境目のことで、六道珍皇寺のあるあたりが、ちょうどその境目なんですね。
では、どうして六道珍皇寺のあたりがあの世とこの世の境目だったのでしょうか?
それは、このあたりが昔は鳥辺野(とりべの)と呼ばれる葬送地であったことが一つの理由とされていますが、実は六道珍皇寺には冥土への入口があったからなんです。
六道珍皇寺の本堂の脇に何やらのぞき穴のようなものがあります。その穴を除いてみると井戸が見えます。どうやら、これが冥土への入り口のようです。
この井戸は篁(たかむら)冥土通いの井戸と言うそうです。
篁とは平安時代の官人・小野篁のことで、昼は役所で仕事をし、夜になると冥土の閻魔大王に仕えていたそうです。
篁が、夜な夜な、この井戸を通って閻魔大王のもとに訪れていたことから、冥土への入り口と呼ばれていたわけです。篁が最初にこの井戸を使ったのは、亡き母の霊に会いに行くためだったと言われています。
この世に戻る出口はあったのか?
篁が、冥土へ行くために使った井戸は今の六道珍皇寺にありますが、では、あの世からこの世へはどうやって戻ってきたのでしょうか?
入口があれば出口があるはず。
そこで、あの世からの出口を探しに行ってきました。
そして、遂に見つけましたよ。あの世からの出口を。
場所は、京都市右京区の嵯峨野で、大覚寺の南の方向です。
このあたりも冥土への入口があった鳥辺野と同じく昔は葬送地で、化野(あだしの)と呼ばれていました。ちなみに京都には、もうひとつ蓮台野(れんだいの)と呼ばれる葬送地が北区にありました。
これらの葬送地は、全て地底で結ばれていたとも伝えられています。
話は、あの世からの出口に戻りますが、この出口は福生寺(ふくしょうじ)の井戸で、「生の六道」と呼ばれ、篁はここから地上に戻ってきたとされています。
今は、福生寺はなくなり、井戸も残ってはいません。
だから、六道珍皇寺の井戸から冥土に行っても帰ってくることができないので、無闇に井戸に入るのはやめましょう。
ここまで紹介してきたことは、もちろん単なる伝説でしょう。
しかし、なぜ小野篁が閻魔大王に仕えていたと言われるようになったのでしょうか?
篁は、官人でありながら、歌人としても優れており、非常に賢かったようです。また、感情の起伏が激しく、奇行が目立ったとも言われています。
このような篁の謎めいた性格から、当時の人々が夜な夜な閻魔大王に会いに行っていたと噂するようになったとされています。
六道の辻については、All Aboutでも紹介されています。
また、六道珍皇寺と右京区の六道の辻については下記のページを参考にしてみてください。