火災で燃えなかった金閣の鳳凰
京都市北区にある鹿苑寺(ろくおんじ)は、境内に全身が金ぴかの金閣が建っていることから金閣寺の通称で親しまれています。 京都観光の第一の目的として金閣寺を訪れる人も多いはず。 金閣寺を創建したのは室町幕府3代将軍の足利義満ですが、昭和25年(1950年)に火災で焼失しているので、現在の金閣は当時のものではありません。
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京都市北区にある鹿苑寺(ろくおんじ)は、境内に全身が金ぴかの金閣が建っていることから金閣寺の通称で親しまれています。 京都観光の第一の目的として金閣寺を訪れる人も多いはず。 金閣寺を創建したのは室町幕府3代将軍の足利義満ですが、昭和25年(1950年)に火災で焼失しているので、現在の金閣は当時のものではありません。
毎年8月16日は、五山送り火が行われます。 五山送り火は、お盆に迎えた先祖の霊をあの世に送るための行事で、京都市内を囲む山々に松明が灯されます。 五山送り火は、京都市やその周辺の様々な場所から眺めることができ、今年は、鴨川公園から見ることにしました。
毎年8月16日は、京都で五山送り火が行われます。 お盆に迎えた先祖の霊を再びあの世に戻すのが五山送り火です。 五山送り火の起源はよくわかっていませんが、室町時代に8代将軍の足利義政が始めたとも言われています。 足利義政が五山送り火を始めたとすれば、如意ケ岳の大文字、大北山の左大文字と、大文字が2つ存在する理由の説明がつきます。
京都市北区にある大徳寺は、広々とした境内を持つ臨済宗のお寺です。 境内には、一般公開されているものから通常非公開のものまで、たくさんの塔頭(たっちゅう)寺院が建っています。 大徳寺に塔頭が多く建っているのは、ここで織田信長の葬儀が行われたことと関係があります。
京都市北区の上賀茂神社は、世界遺産に登録されており、1年を通して多くの参拝者が訪れます。 見るものも多く、旅行や観光で京都を訪れた際は、上賀茂神社にもお参りをしておきたいですね。 そして、お参りの際には、願い石にも触れて願い事が叶うように祈願しておきましょう。
京都市北区の船岡山の西に千本通があります。 千本通の名の由来は、卒塔婆が千本立てられたからだと伝えられています。 この地は、蓮台野と呼ばれ、平安時代には風葬が行われていたことから、卒塔婆がたくさん立てられていたのでしょう。 そして、千本通には、蓮台野墓地の墓守の寺として創建された上品蓮台寺(じょうぼんれんだいじ)が今もあります。 また、上品蓮台寺の南には引接寺(いんじょうじ)というお寺も建ち、上品蓮台寺と深い関係があります。
京都に平安京が造営されたのは、この地が四神相応の地だったことが理由として挙げられます。 四神とは、東を守る青龍、西を守る白虎、南を守る朱雀、北を守る玄武の神さまのことです。 そして、四神相応の地とは、東に川、西に道、南に湖、北に山がある土地を指し、これを京都に当てはめると東に鴨川、西に山陰道、南に巨椋池(おぐらいけ)、北に船岡山となります。 これら四神の中で、平安京造営の起点となったのは船岡山と考えられます。
永禄11年(1568年)9月に上洛し、当時の政治に深く関わった織田信長。 今でも、京都には、織田信長に関係する史跡が残っています。 そこで、今回は、京都にある織田信長に関係する史跡をいくつか紹介します。
ゴールデンウィークが終わると、京都から旅行者や観光客が一気に減ります。 初夏から梅雨にかけての京都は、気候的に散策しやすいので、人が少ないこの時期こそ訪れたいですね。 春や秋の行楽シーズンには、大混雑する観光名所も、初夏や梅雨なら閑散としたものです。 だから、有名な京都の観光名所を訪れるなら、初夏から梅雨がおすすめです。 そこで、今回は、初夏から梅雨に訪れたい京都の有名な観光名所を紹介します。
京都市北区の等持院(とうじいん)は、足利家の菩提寺として知られています。 現在は、周囲に民家や立命館大学ができ、境内が削られてしまっているのですが、それでも割と広々としています。 その等持院には、心字池と芙蓉池の2つの池から構成される方丈北庭があり、今も変わらず美しい景色を参拝者に見せてくれます。 今回の記事では、等持院の方丈北庭を紹介します。