八月十八日の政変から蛤御門の変までのまとめ
最近、八月十八日の政変に関係した記事ばかりですが、今まで書いた個別の記事だけでは、事件の全体がわかりにくいと思います。 そこで今回は、時間を追うような感じで事件の内容をまとめてみました。
最近、八月十八日の政変に関係した記事ばかりですが、今まで書いた個別の記事だけでは、事件の全体がわかりにくいと思います。 そこで今回は、時間を追うような感じで事件の内容をまとめてみました。
幕末の京都では、天誅と称したテロ行為が頻繁に起こっていました。 その多くが、尊王(天皇を敬うこと)や攘夷(じょうい=外国人を追い出すこと)を主張し、反対派を襲撃するというものでした。 このようなテロ行為の中で、大事件でありながら、歴史上はあまり知られていない事件が文久3年(1863年)8月17日に起こります。 その事件の名は、後に本圀寺事件とか因幡二十士事件と呼ばれるようになります。
江戸幕府が、慶応4年(1868年)に鳥羽伏見の戦いで新政府軍に負けたことで、約700年続いた武家政治が終わりました。 武家政治の確立と終焉の地・鳥羽 倒幕の機運は、坂本竜馬が薩摩藩と長州藩を結びつけた薩長連合(1866年)以降、急速に高まることになりますが、その3年前の文久3年(1863年)8月にも討幕を企てた事件が起こっています。
幕末、吉村寅太郎という人物がいました。 天保8年(1837年)に土佐藩の庄屋の子として生まれた彼は、武市半平太の教えを受け、やがて、文久元年(1861年)に武市が結成した土佐勤王党に加わります。 その後、文久2年に脱藩して、尊王攘夷(天皇を敬い、外国人を日本から追い出すこと)のために働く目的で上洛しました。
毎年7月は、京都三大祭りのひとつである祇園祭が催されることから、京都市内は多くの旅行者や観光客の方で賑わいます。 そのため、この時期は宿が満室になりやすいことから、できるだけ早く予約しておいた方が無難です。 特に16日は前祭の宵山、翌日17日は前祭の山鉾巡行が行われることから、すぐに満室となってしまいますので、注意しておいた方が良いでしょう。 そこで、今回の記事では、祇園祭の観覧に便利なホテルや旅館を紹介したいと思います。
平安時代末期、武士が政治の世界で活躍するきっかけを作ったのは、平清盛でした。 清盛を生んだ母の名は、祇園女御(ぎおんのにょうご)。 また、清盛には、父の忠盛の再婚相手である池禅尼(いけのぜんに)という母親もいました。 この二人の母親が、後に平家の運命を大きく変えることになります。
上賀茂神社から東に5分ほど歩いた場所に大田神社という神社が建っています。 大田神社は、神社そのものよりも近くにある大田の沢のカキツバタの方が有名です。 毎年5月になると見頃を迎えることから、多くの観光客の方が大田の沢に訪れます。
2010年5月15日。 毎年恒例の葵祭が催されました。 行列は、午前中に京都御所を出発し下鴨神社へ。そして、午後になると下鴨神社を出発して上賀茂神社に向かいます。 私もこの日は、午前中から葵祭を観覧する予定だったのですが、何と寝過してしまい、結局、午後からの観覧となってしまいました。 今回の記事では、葵祭の内容を紹介しますが、いつもとは違い、写真を多めに掲載しています。
京都市伏見区にある世界遺産の醍醐寺から南に10分ほど歩いた場所に金剛王院というお寺が建っています。 金剛王院は、明治時代にもともとこの地にあった一言寺(いちごんじ)というお寺と合併して、現在に至ります。
2010年5月1日にドーミーインPREMIUM京都駅前がオープンしました。 以前に何の工事をしているのかと思って見ていたのですが、ホテルだったんですね。 プレオープンは4月7日だったようで、すでに宿泊された方も多いのではないでしょうか。