
涌泉寺と七面祠
地下鉄松ヶ崎駅から北東に10分ほど歩いた辺りに涌泉寺(ゆうせんじ)というお寺が建っています。 もともとここは、本涌寺(ほんにゅうじ)というお寺だったのですが、大正7年(1918年)に妙泉寺というお寺と合併し、現在の涌泉寺になりました。
地下鉄松ヶ崎駅から北東に10分ほど歩いた辺りに涌泉寺(ゆうせんじ)というお寺が建っています。 もともとここは、本涌寺(ほんにゅうじ)というお寺だったのですが、大正7年(1918年)に妙泉寺というお寺と合併し、現在の涌泉寺になりました。
京都市山科区に毘沙門堂というお寺が建っています。 山科区では、結構有名なお寺で、観光名所としても人気があります。 その毘沙門堂から少し西に行くと、双林院という毘沙門堂の子院が建っています。 毘沙門堂に参拝したら、双林院にも訪れておきたいところですが、その存在を知らない方が多いのか、毘沙門堂と比較して参拝者が少なめです。 そこで、今回の記事では、毘沙門堂に参拝したことはあるけど、双林院に訪れるのを忘れていたとか、そもそも知らなかったという方のために当院を簡単に紹介しておきます。
近代の政治家の中には、幕末維新の動乱をくぐりぬけてきた人物がたくさんいます。 西郷隆盛や大久保利通など、明治時代前期の政治家が、その典型ですね。 明治維新から約70年経った昭和15年(1940年)。 すでに幕末は、歴史の世界となりつつあった時代に西園寺公望(さいおんじきんもち)が亡くなりました。 西園寺公望は、明治時代後期の総理大臣で、最後の元老となった比較的現代に近い近代の政治家といったイメージがあります。 ところが、意外に思えるかもしれませんが、彼も幕末維新の動乱をくぐりぬけてきた政治家の一人だったのです。
江戸時代、京都にはたくさんの大名の藩邸が置かれました。 薩摩藩、長州藩、土佐藩といった幕末に活躍した藩の藩邸はもちろんのこと、それ以外の藩邸も存在していました。 その中には、100万石を有する大藩の加賀藩の藩邸もありました。
京都市右京区には、2つの大きな池があります。 ひとつは大覚寺にある大沢池(おおさわのいけ)で、もうひとつは、そこから1kmほど東にある広沢池(ひろさわのいけ)です。 どちらも自然にできた池だと、当初は思っていましたが、実は人工的に造った池だということを知りました。
天正10年(1582年)。 本能寺で、主君織田信長を討った明智光秀は、その後、中国地方から素早く戻ってきた羽柴秀吉と天王山で戦います。 この戦いは、山崎の戦いと呼ばれ、光秀が秀吉に敗れたことで決着しました。
京都市下京区の塩竃町に蓮光寺というお寺が建っています。 最寄駅は、京阪電車の清水五条駅と地下鉄五条駅です。 この蓮光寺には、不思議な伝説を持つ2つの仏像が安置されていることで知られています。
阪急上桂駅を西にまっすぐ進むと分かれ道が現れます。 そこには、右に行くと地蔵院、左に行くと浄住寺と記されています。 地蔵院は竹の寺として有名ですが、私にとって、浄住寺は全くその存在を知らないお寺です。 当然、浄住寺に興味がわいてくるもので、地蔵院の拝観後に訪れてみました。
毎年8月22日と23日は、京都は六地蔵巡りで賑わいます。 六地蔵巡りは、6ヵ所のお寺で、赤、青、黄、緑、黒、白の6色のお札を授かって玄関につるし、1年の疫病退散、家内安全、無病息災、福徳招来を祈願するものです。 そこで、今回の記事では、六地蔵巡りの6ヵ所のお寺を紹介します。
先日、京都新聞ニュースを読んでいると、八幡市の八角堂に地元の女性が植えたシマユリが花を咲かせたという記事が掲載されていました。 八角堂は、何度も訪れたことがありますが、境内は殺風景です。 そんな境内をシマユリがどのように彩っているのか見たくなり、八角堂に参拝してきました。